元浪人生の大学受験記

元浪人生の雑記。志望校は東京大学文科一類だった

日の沈む国に生まれて〜愚痴〜

せーじのおはなしがだいすきなおおきなおともだちへ。さいしょによんでね
いますぐこのぺーじをとじてね。たぶのみぎがわにばってんがあるからそれをおすとたぶごとけせるよ。たぶをとじるのがいやならぶらうざばっくをしてね。ぶらうざばっくはひだりむきのやじるしをおせばできるとおもうよ。



ブログを一年ぶりに再開した理由として、まあなんというか相変わらずこの国詰んでるなって言うのをひしひしと感じていてそれについて適当に書きたかったのがある。あくまで大学在学中の比較的金持ってる若者の戯言として受け流してくれると幸いである。

最近、円安が酷いですよね。それによってまあ若干インフレ傾向になるのはデフレしまくったこの国にはいいとは思いますがスタグフレーションにしかならないであろうこの円安は正直よくないよね...
賃金低すぎ。上がる気配もあまりないし、まあその原因は安さ至上主義みたいなデフレ思想にあるのでもうどうしようもないと思う。企業に金が無いと賃上げはない。賃上げがないとまあ消費が落ちる。消費が落ちると企業が利益をあげれない。企業に金が無いと(以下ループ)を30年やってるけど、正直バカバカしいよな。終わってるよ。失われた30年と言うけど、多分40年になるだろうし、そもそも失われたってのがね。バカバカしいよな。
失われたじゃないんだよ。ドブに捨てたのほうが正しいでしょ。経営陣や政策決定者が凝り固まって旧態依然としたままだから、もうどうしようもない状態で30年経ってしまった。まあ情状酌量の余地はあると思うよ。バブル崩壊後色々あったもんな。アジア通貨危機しかりリーマンショックしかり3.11しかりコロナ禍しかり。でもね、3.11以外は他の国も同じでしょうに
滅び方が末期の共産国家みたい。唯一成功した社会主義国家だもんな。そりゃ滅ぶときも社会主義国家のように滅ぶわな。吉野家のアレとか見ると思うけど、どうせ全員頭昭和のままでアップデート出来てねぇんだろ?挙げ句の果てには統計は改竄されてたりするし、マジで共産国家かよバカバカしい
正直に言うと、大学卒業後に生きていく自信がない。どうせ親の年収は超えられないし、クソみたいな賃金で人生を切り売りしなければいけないことには絶望しか覚えない。仕事だけに人生がすり潰されるなら、もはや産まれてきた意味などないとすら思う
景気は上向く気は全くしないし、経済的には将来の明るい展望なんて何もない
経済成長率なんて終わってる。内戦でもしてるのかこの国は
なぜ未だに多くの人間が一億総中流を維持してると思ってるのか正直疑問に思う。もはや大半は貧困層であって私の家のような地方中流階級ですらはもはや全世帯の中で上位1%にすぎない。まあアッパーミドルクラスだというのもあるが、ローワーミドル含めてもせいぜい数%なのは見当はつく。そんな中で世の大半の人間は自分たちは中流階級だと思っている。貧困層だと認めたくないのはわかるが、もっと声をあげないとずっと変わらないと思ってしまう。
そして、年収の中央値が400万を切っている現状、世の大半の人にはもはや参政権の半分がないと言って等しい。投票する権利はあるが立候補する権利はないのだ。多くの人にとって国会議員に立候補するだけで必要な300万という金額は年収の大半であって、一般庶民の国政参加は不可能と言ってもいい。その上選挙活動には金がかかるし、当選後も金がかかる。もはや一般庶民には手の届かない世界と言ってもいいし、もはや既得権益化したとすら言ってもいいと思う。こんな状況で果たして真の民主主義国家と言えるのか?こんなんで西側の一員ズラして恥ずかしいと思わないのか?とも思う
政治家になる気はないし政治運動やる気もないが、供託金無くすための活動ならやってもいいかなと思うくらいには供託金300万というものに対しての反発心が強い
政党もどこもかしこも代わり映えしない似たようなものにしか見えないし、なんというか、政治経済の話を考えているだけで嫌になってくる。国内政治触れずに国際政治だけやりたいけれども、学科的にはそれはだめなんだろうな...

近況

書こうかなーと思いながら一年間放置した男、スパイダーマッ!!
IQテスト受けると言っていましたが、なんというか微妙な結果でした。外れ値ではあるもののそこまで突き抜けてもいないなんというか面白みにかける結果
120って一番ネタにもならんつまらん数字よね...100以下だったりしたらもっとネタにできたし130超えてればまあこれもネタにできた。120って微妙なラインすぎるよな
ただ、サブスコアがだいぶ荒ぶっているのでASDって診断を受けました。正直納得いっていないし、診断受けたところでサブスコア全部100超えてるんよな...まあ2Eなんだろうが...
ちなみに大学の単位は全部落としました!気分沈んだままぼーっとしてたら単位取れなくなってたのであとは後の祭りでずっとゲームしてた。ステラリス400時間超えたので今年は1000時間超え目指したいですね
あとVRCはじめた。改変自分でやりたいけどBlender何もわからん。でもなりたい自分になれるのはすごく魅力的だなぁと思った
創作活動は全くやっていない。イラストを最近また練習し始めたけどいつまで続くかわからんし、小説はもうずっと書いてない。何も生み出さない無産の人間になってしまった
今年度はちょくちょく記事書きたいと思います

雑記 ブログタイトルとか近況とか

 お久しぶりです。浪人生ではなくなりました。今年から晴れて仮面浪人生です。日東駒専とかいうGランおられるわけないやろ...マーチとかいうFランでも正直あれなのに...

東大早大一橋以外大学に非ず。いわゆる社会科学系の大学はこれらだけですよ。せめて院でどれかに行かなければ研究職のポストなんかないんだ...普通に生きる分ならマーチ日東駒専は普通にいい大学なのかもしれないが、生憎目指すものが人生を終止させると名高い修士課程、白紙にすると名高い博士課程なもので、これらに行かないとキャリアが詰む。そこ、行っても8割くらいは詰むだろとか言わない。常勤のポスト取るのは宝くじ当てるのと一緒?んなこと知ってんだよ。なので、どげんかせんといかんなぁと思っているがまあいいだろ...

冗談はおいておいて、とりあえず大学には入れたので花の東京で一人暮らしをしている。やってることといえば競馬(ウマ娘だから賭けていないのでまだ健全)やりながら野球みて酒のんでドラマ見てとおっさんだが、まあとにかく大学生という身分は手に入ったので無職ではなくなった。中卒無職から大学生へランクアップを果たしたため、ようやくなんというか、俗世へ戻ってきたなぁという趣がありなんだかんだ今の状況を楽しんではいる。なのでブログタイトルはそのうち変えなければいけないのだが、まあいいだろ別に...めんどくさいし

あと、友人が死んだ。なので精神的に結構めちゃくちゃになっているがまあそれはここに書くことではないので割愛させていただく。

ウマ娘、面白いね。やっててお嬢様キャラ好きなんだなと思った。マックとキングしか育ててない。マックはホープフルで事故が起きなければジャパンカップと有馬連覇しながら9冠楽勝なのだが、キングはクラシック三冠が難しい。必ずどれか取れない。ダービー菊花どっちか落とす。皐月は楽勝なのに。あとシニア有馬。あれ一番人気で走ったことない。勝てるけど。あとマックのクラシック宝塚おかしくない?あれたまに勝てはするけど相手のステータスシニアで走る宝塚と変わんないんだけど....なんでなんだろう。本当は宝塚も走って春秋グランプリ連覇したいのにあれじゃ厳しい。

あと今年もやってまいりましたシンデレラガールズ総選挙。クソです。こんなものなければいいのに。まあCDは増えるだろうし別にいいのですが、選挙運動のようなものを見るたびにちょっといらっとするので向いてないなぁと思いますね。黙ってユニット総選挙は桜舞姫に入れて、シンデレラガールズ総選挙は一ノ瀬志希に入れて、ボイスオーディションは適当に入れて、それで終わりです。シャニマスは選挙ないから気が楽でいい...雛菜...

まあ大学入ったので近況適当に書いていくブログらしいブログになると思います。ああそういえばiQの検査やるので結果わかったら適当に記事書きます

我が国の政府レベルでのギフテッドに関する議論について思ったこと

まあ色々あって、確か4月だったかな?にあった文部科学大臣の答弁思い出したんです

いやーひどいよねあれ。悲しくなった。まあギフテッドに対する認識なんてそんなもんよねーって感じ?

まあでも国も多分色々考えてると思うし、国会でも他にギフテッドについて取り上げたことあるんじゃないかなーっておもってとりあえず国会議事録と中央教育審議会の今年の中間まとめあたってみたんだよね。ソレらを適当に要約して引用しつつ適当にうだうだいうだけの記事だよ

せーじのおはなしがだいすきなおおきなおともだちへ。さいしょによんでね

いますぐこのぺーじをとじてね。たぶのみぎがわにばってんがあるからそれをおすとたぶごとけせるよ。たぶをとじるのがいやならぶらうざばっくをしてね。ぶらうざばっくはひだりむきのやじるしをおせばできるとおもうよ。

最初に言いたいのだが、この記事はネット上における政治的党派性とは関係はない。

文部科学省や与党への批判、また米共和党への支持が記事内にて出てきたとしても、それだけで私が日本国内において支持する側が決まるわけではない。読んだ人間が与党支持者だろうが野党支持者だろうが誤解はやめてもらいたい。確かに私は共和党支持だし保守党支持だが、私はあくまで西側自由主義を信奉する一個人だ。宗教右派オルト・ライトポピュリズムといったものを支持する田舎者、もしくは教育を受けられていない愚民の差別主義者という左派の皆さまがご想像あそばされる典型的な右翼とやらでは断じて無いし、個々人の権利をみだりに侵害せんとし、共産主義者と手を結んでいる悪魔の手先という右派の皆さまがご想像あそばされる典型的な左翼でもない。両方とも大嫌いだがまだマシな方と手を組んだ、共和党や保守党を支持する典型的なリバタリアン的思考を持つ人間であることを留意してこの先を読んでいただきたい。政治的議論の際我々のような人種がいることを両サイドともにまともに意識したことはないだろうから両サイドともにどこか一箇所取り上げてどうこう言ってくるのはわかってんだよ。うっせばーか。私に関わってくんじゃねぇ。どっちも嫌いだ。クソくらえ

なぜ、このようなことを先に言及するかというと、文科省と与党をこき下ろす気満々だが、それはそれとして合衆国におけるギフテッド教育に触れる際に学校選択制の観点から共和党寄りの記述をするからだ。インターネットにいるめんどくさい政治系の人間というのは、どちらかに肩入れすると揚げ足とって叩いてくることを身にしみて理解しているので、左右どっちも回れ右して、右に回るのが嫌なら回れ左でもいいからとにかく踵を返して、こんなネットの辺境ではなく中心街たるネット掲示板Twitterへとおかえり願い、そこで思う存分火花をちらしてほしい。僕は鍵垢にこもってほそぼそと同じ政治的思想の持ち主や、ゲーム仲間とまったりだべるのが好きなのであって、君たちのバトルに巻き込まれるのはごめんなんだ。

 

おおきなおともだちは帰ったかな?それでははじめよう。もしいたとして、コメントしてきたら容赦なくコメント消すからよろしくね

公的な文章からの引用のようなもの

政治的レベルつまり議会レベルにおける議論。国会議事録より

ギフテッドについての国会での発言は全てで6つ確認できる(国会議事録検索より)まずは一つずつおおよその大意だけ上げていく

第151回国会衆議院文部科学委員会 第7号 平成13(2001)年3月16日

発言番号064 山谷えり子衆議院議員(当時)(自民)
ギフテッドチルドレン、タレンテッドチルドレンなんといって、多様な形での支援体制がこれから必要になってくるというふうに考えております

第189回国会衆議院外務委員会 第13号 平成27(2015)年8月28日

発言番号014 大野敬太郎衆議院議員(自民)
ただの人物紹介なので割愛

第193回国会参議院決算委員会 第9号 平成29(2017)年5月22日

発言番号056 二之湯武史参議院議員(当時)(自民)
Q.(障害児や特別に支援を要する児童へのフォローに対して言及した上で)一方で、例えば特別な才能に恵まれた子供たち、いわゆるギフテッドと言われるような非常に能力の高い子供たち、こういった生徒に対する専門人材、若しくはそういったフォローの体制というのは検討されているのか。

発言番号057 政府参考人
A.まだ具体的な対応は十分取れていないんじゃないかというふうに考えております。

発言番号058 二之湯武史参議院議員
憲法26条での「その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」という規定を考えた際、日本の義務教育にギフテッドの居場所はあるのか。

(ダンスを例に上げ)義務教育に組み込まれることで知的好奇心をとめてしまっているのではないか。

そのため、教職員のみで対応できるという考えを変えたほうが良いのではないか。

また、教員は50代が4割を占めておりこれから大量退職の時代が来るが、その時義務教育の質にどうアプローチするのか

発言番号059 政府参考人
年齢制限の緩和や特別免許状の積極的活用で対処するよう努力する

発言番号060以下は072まで要約。二之湯武史議員のもののみ
その発想から変えるべきだと言っている。
中三の通塾者は70%を超えており、もはや教科に関しては義務教育は信頼されていない。
スポーツや文化的な面でも民間教育は盛んである。そういったことを踏まえ義務教育を改革スべきである

発言番号072 二之湯武史参議院議員
(現状の義務教育改革は支援が必要な児童に対してはプラスであると言った上で)
この国を引っ張っていく、そういう突出した個性に対する、ギフテッドの子供に対する支援若しくはサポート、こういったものは義務教育の大きな課題である。

第201回国会衆議院決算行政監視委員会第二分科会 第1号 令和2(2020)年4月6日

発言番号259 谷田川元衆議院議員(立憲民主)
ABC予想を証明した望月新一教授を例に出し諸外国におけるギフテッド教育とギフテッドについて軽く説明)
まだ定義がしっかりしていないが、そういう子供が対人関係でつまずき学校に馴染めないという例が少なからずあると聞く。こうした子は、俗に、落ちこぼれの反対、浮きこぼれというが、大臣はこういった実態があることを御存じか。

発言番号260 萩生田光一文部科学大臣
児童生徒一人一人の能力、適性等に応じた教育を行うことは非常に重要。中央教育審議会で審議中である。ギフテッド、場合によっては発達障害も一緒に扱われるが(注おそらく2E)
そういった子供がが協調性がなくて学校に行かなくなってしまうことがあることは承知している。一人一人の子供にしっかり目配りをしていきたい。

発言番号261 谷田川元衆議院議員
人間関係につまずく事例が多々あるらしく、学校側も対応に苦慮しているとNHK教育テレビの番組で取り上げられていた。
IQ130以上の方が大体2%いるということであれば、40人学級であれば1人ぐらいいるということ。
全国的にそういう子供たちがどういう学校生活を送っているか、そういうのを調査するお気持ちはあるか

発言番号262 萩生田光一文部科学大臣

IQが高い子を、その分野をしっかり伸ばしてあげるということも大事だが、義務教育期間中に、全く集団生活ができない、協調性がない、あるいは人と対話ができないということを見過ごし、特定分野だけ伸ばせばいいというのは、日本の教育概念とはやや違うところがある。その辺は調査をするかどうか改めて考えてみたい。
 伸ばすことは大事だが、だからといって、それさえできればいいと、うちの党(自民党)にも、物すごくIQが高いんですけれども、みんなと協調できない人とかおりますので、(議事録にはないがここで笑いが起きる)やはりそれは大事なこと。社会に出る上では。いずれも大事なことなので、しっかりやっていきたい。


第203回国会衆議院議員文部科学委員会 第2号 令和2(2020)年11月13日

発言番号170 谷田川元衆議院(立憲民主)
決算委員会で質問したことだが(上記の第201回国会衆議院決算行政監視委員会第二分科会発言番号262)調査するかは改めて考えたいとのことだった。
10月7日の中央教育審議会初等中等教育分科会から発表された中間まとめを受けて調査する考えはあるか

発言番号171 政府参考人
中教審の中間まとめの中で、特定分野に特異な才能を持つ児童生徒に対する指導についても記述がなされ、今、答申に向けて鋭意議論が深められているところ
学校での調査は定義等が必要なので現時点では考えていないが、必要な取組について検討していく

第203回国会参議院文教科学委員会 第2号 令和2(2020)年11月17日

発言番号145 梅村みずほ参議院議員(維新)
日本の教育はボトムアップ傾向が強いがギフテッド教育はどうしていくのか

発言番号146 政府参考人
児童生徒一人一人の良い点や可能性を生かしていく協働的な学びを実現していくことが重要。SSHやジュニアドクター育成塾などが実施されている。
中央教育審議会で審議がされているところである

発言番号147 梅村みずほ参議院議員
浮きこぼれはもったいないので、ギフテッド教育に力を入れていってもらいたい。
差別と区別は違いますので、特別な才能を持った子供たちは区別しその才能に見合った教育というのを受けられるようになったほうがよい

 国家行政レベルでの議論

とりあえず度々登場する中央教育審議会の中間まとめを文部科学省のサイトに有るPDFから雑に引用するね

令和二年10月7日中央教育審議会 資料1-1令和の日本型学校教育の構築を目指して中間まとめ概要より

② 補充的・発展的な学習指導について
ア 補充的・発展的な学習指導
• 指導方法等を工夫した補充的な学習や学習内容の理解を深める発展的な学習を取り入れる
• 必要に応じて異なる学年の内容を含めて学習指導要領に示していない内容を加えて指導
イ 特定分野に特異な才能を持つ児童生徒に対する指導
• 知的好奇心を高める発展的な学習の充実や,学校外の学びへ児童生徒をつないでいくことなど,国内の学校での指導・支援の在り方等について,遠隔・オンライン教育も活用した実証的な研究開発を行う


令和二年10月7日中央教育審議会 資料1-1令和の日本型学校教育の構築を目指して中間まとめ本文より

(子供たちの多様化)
○ 特別支援学校や小・中学校の特別支援学級に在籍する児童生徒は増加し続けており,小・中・高等学校の通常の学級においても,通級による指導を受けている児童生徒が増加するとともに,さらに小・中学校の通常の学級に 6.5%程度の割合で発達障害の可能性のある特別な教育的支援を必要とする児童生徒(知的発達に遅れはないものの学習面又は行動面での著しい困難を示す児童生徒)が在籍しているという推計もなされている。
また,特別支援学校に在籍する子供たちの約3割弱は,複数の障害を併せ有しており,視覚と聴覚の双方に障害のある「盲ろう」の子供たちもいる。
さらに,特定分野に特異な才能を持つ児童生徒17の存在も指摘されている。

○ 個々の児童生徒の学習状況を教師が一元的に把握できる中で,それに基づき特別な支援が必要な者に対する個別支援が充実され,多様な児童生徒がお互いを理解しながら共に学び,特定分野に特異な才能を持つ児童生徒が,その才能を存分に伸ばせる高度な学びの機会にアクセスすることができる。

イ 特定分野に特異な才能を持つ児童生徒に対する指導
○ 特定分野に特異な才能を持つ児童生徒に対する教育については,古典的には知能指数の高さなどを基準に領域非依存的な才能を伸張する教育が考えられてきたが,近年は領域依存的な才能を伸長する教育や,2E(Twice-Exceptional)の児童生徒*1に対する教育を考える方向に変化している。

単純な課題は苦手だが複雑で高度な活動は得意といった,多様な特徴のある児童生徒が一定割合存在するなかで,学校内外において,このような児童生徒を含め,あらゆる他者を価値のある存在として尊重する環境を築くことが重要である。
○ 一方で,これまでは,我が国の学校において特異な才能をどのように定義し,見出し,その能力を伸長していくのかという議論は十分に行われていない状況にある。
○ このため,知的好奇心を高める発展的な学習の充実や,大学や民間団体等が実施する学校外での学びへ児童生徒をつないでいくことなど,国内の学校での指導・支援の在り方等について,遠隔・オンライン教育も活用した実証的な研究開発を行い,更なる検討・分析を実施する必要がある

で、これ見てどう思ったのさ

結論から言うとアメリカ合衆国と比べると100年遅れてるよね。教育政策レベルでは50年くらいだけど、ギフテッド教育の開始って意味では100年文字通り遅れてる。

でもいがいとかんがえてるひともいるんだなぁっておもいました(粉みかん)

正直二之湯武史元参議院議員の考えは賛同できるなぁと思ったし、平成13年にギフテッドについて話した山谷えり子さん?*2は先見の明があるのかなと思った。自民党に10点ってしたいところだけど正直自民党出身の文部科学大臣の発言で自民党に50点減点ってしたいので自民党は40点減点です。答弁まともだったので立憲民主党に10点。維新は答弁まともっちゃまともだけど人生の国有化を感じたので10点加点からの50点減点で40点減点です。

いやさ、維新に関しては難癖に近いけどさ、でもなんというか気持ち悪い...あの区別云々のくだりがすごい気持ち悪かった。なんだろうね...うまくいえないけどエリート主義とか感じてすごい気持ち悪かった。うん...わかるよ?区別すべきっていうのはわかるよ?でもなんというか、自民党や維新のいう特定の才能のある児童って概念、なんというか国家という概念に利益をもたらす存在である必要性を感じてしまうというか、なんというか...国は黙ってて民間でやって。(政府レベルでの議論全否定)国の補助とか、ありがたいけどああいうのって補助してやるからいうこと聞きなさいねともとれると思っている典型的リバタリアン的思想あるから、時々Twitterで見かける「人生の国有化」って言葉を思い出してしまう。児童のためにではなく、純粋な国の発展のための国家戦略としてのあれが見え透いてるから嫌悪感を感じるんだと思うんだ。もっと濁してくれ...

でさ、大臣のアレ何?実態理解してないからああいうこといるんだと思うんだけどさ、アレなんなん?

そういう事言ってんじゃねぇんだよ...一部のハイリープロファウンドリーはそうかも知れないけどさ、そうじゃないギフテッドのほうが多くて問題なのはそっちなんだよ...

良くも悪くも唯我独尊で通せる例外除くと協調性とやらが強すぎて周りに合わせちゃうんだよ。そっちのがギフテッドにおいては問題だって理解してないよね。

点数は取りすぎると反感買うからとりあえず平均レベルに落とす(定期考査は勉強しなければ普通に7割ぐらいになるから楽)とかさぁ...仲間はずれにされるから本来の趣味や嗜好隠して本来の自分からしたらレベルが低い趣味嗜好を表にだすとか、そういうことをやってるの。言い方悪いし上から目線で何様って自分でも思うけどけど通常の方々というのは我々からするとアホでバカであらせられるから我々は基本生活していく上でレベルを落としてあなた方一般人諸君に歩幅を合わせてあげてるの。そんでもって義務教育で歩幅を合わせることを9年間強制させたあとに好きに歩いてくださいねと言われても、レベルを落とした歩き方しかわからないからそのまま続けざるを得なくて苦労するし、内心周囲を馬鹿にしてる自分に嫌気がさして葛藤したりするハメになんだよ。普通の能力あったらいい点数取るために勉強するから勉強の仕方身につくんだろうさ。死ぬほど羨ましいよ。こちとら点数下げるための努力してんのに。不公平だろ。

わかる?変わってるて思われると一般的な公立学校ではめんどくさい事になるんだよ。感受性高い我々ギフテッドにはソレが死ぬほど嫌だから普通であるように普通に見えるように努力するの。ソレが大臣のような人が言う協調性とやらを身につけるってことなんだよ。自分が自分らしくある権利なんてないわけ。よく教育においては個性がどうこう言われてるけど、それは美しいお題目だと思うよ?でもそれって一般人とか現時点で配慮されている方々だけで、我々ギフテッドには適用されないってのを重々承知してんだよ。わかるか?自分を押し殺して普通の人間とやらを演じる苦痛がさぁ。何が協調性だよ。そんなもんのためにこんな苦痛味わうハメになる人間なんてこれ以上いらねぇんだよ

1972年に合衆国議会に提出された「ギフテッド及びタレンテッドへの教育に関する合衆国議会への報告書」通称マーランドレポートを触りでもよんだ?読んでないでしょ。アレに書いてある"Gifted and Talented children are, in fact, deprived and can syffer psychological damage and permanent impairment of their abilities to function well which is equal to or greater than the similar deprivation with special needs served by the Office of Education"って要はこんな人間できちまうよって話だからな!

まあ冷静になって考えると個人的にはアメリカにある学校選択制がすべてを解決すると思うんですよねぇ...

チャータースクールとか教育バウチャーとか、いいよね...コレは共和党民主党の一部で意見が一致するところなので、議会共和党民主党右派が協力して教員組合寄りの民主党左派から守ってくれ...自身の選択で自身にあった学校に通えるって素晴らしいよね...

結局さ、そういう話なの。決められたとこか受験で高い金払って私立行くかじゃなくて、自分にあった学校を選べたら、自分らしく生きる権利を子供も得られると思うっていう、そういう話なのよ

まわりと合わせることも確かに重要かもしれない。でもね、そのために心を殺すくらいなら、多少協調性とやらがなくても心を殺さずにいられたほうが精神的には健全な成長とやらができるんじゃないでしょうか。学校というものは、児童の感性や心を殺すための施設ではなく、育てるための施設のはずです。すこしくらい、我々にも配慮してくれてもいいんじゃないですかね

以上、一人の不健全な精神的成長をしたギフテッドの愚痴でした

*1:2E(Twice-Exceptional)の児童生徒とは,特異な才能と学習困難とを併せ持つ児童生徒のこと。

*2:衆議院議員参議院議員ってどっちがいいのかわからんな

一ノ瀬志希についての考察というか、なんというかそういうもの

 以前の記事を書いてからおおよそ二月ほどだろうか。とりあえず、今更かよとも思うが、自身の見解をきっちりとまとめずに運営や他人の解釈を批判しているだけでは結局こいつは何も生み出さないのに偉そうにと言われそうなので、いい加減しっかりとした一ノ瀬志希に対する考察というか、なんというか、そういったものを書こうと思う。

 本当はTwitterで書きたいのだが、アレの性質上まとめるのがめんどくさい上に140字の制限があるし、どうせ書くならきっちりと書きたいと思ったのでブログで書くこととした。

 ところで、前回の記事で触れたTENETは結局のところ、滑り込みでIMAXで鑑賞することができた。IMAXでの閉幕が確か10月の18だったかと記憶しているが、その週の火曜か水曜に予備校が終わったあとに見に行き、なんとか鑑賞に成功した。いい映画なのでぜひ見ていただきたい。12月の16よりオンライン配信、また1月の7日よりBDDVDの発売だったはずだ。多少ずれていても許してほしい。

 また、病状なのだが、順調に投薬量が増え、順調に調子が悪くなっている。どん底までは下がりつつあるので躁転を今か今かと待ち望みながら残り数ヶ月を走りきろうと思う。近況はここまでとする。

 一ノ瀬志希とはまず何か

なんでコレいるの?

何事もまず定義するのが大切だ。例えばスパイダーマンを語るとき、スパイダーマンとだけ書いてしまうと東映版やサム・ライミ版、アメイジングMCU版と色々あるスパイダーマンのうちどの作品の話をするのかは正直わからない。スパイダーマンに共通する一般的な話をするのなら別に定義づけなんてしなくていいかもしれないが、しかしスパイダーマンを見たから感想を書くとなったとしたら、どれを見たのかは明確にしないと、読む人間が混乱するだろう。

 実際に、ハリウッド映画であるサム・ライミ版やアメイジングMCU版しか知らない人間が東映版の感想記事をみたら驚くに違いない。レオパルドンなる謎の巨大ロボットが東映版にはいるのだから。

 オタクにわかりやすいように書くとするならば、「OVAHELLSINGとTV版HELLSING*1は違う作品だよね。OVA版だけ見てる人間にTV版の話ししてもわかんないだろ?だからちゃんとTV版だと言って話振れよ」という話だ。

 一ノ瀬志希だってきちんとそこを定義しておかないと、ラミアになったりしてしまうし、本物の錬金術師になってしまったり、マトリックスのような世界にとらわれていた少女になってしまうので、困る。

志希ちゃんとは

 一ノ瀬志希とは、アイドルマスターシンデレラガールズ及び同スターライトステージに登場するアイドルである。最近はアイドルマスターミリオンライブシアターデイズにコラボ出張していたし、うろ覚えだが昔バハムートやグラブルにも出ていた気がする。映像作品だとスピンオフに出てたしあとは劇場にも出てる。CDやマジアワでボイスドラマのようなものもやっていたはずだ。CMやGo Just GoのMVはノーカンで。まあここまではいいだろう。まだラミアだったりするが、とりあえず大枠としての一ノ瀬志希はかたまった。

 この記事ではとりあえず3つに一ノ瀬志希を分けて、そのうち2つについて話していこうと思う。1つ目はアイドルマスターシンデレラガールズ、通称モバマス一ノ瀬志希。2つ目は同スターライトステージ、通称デレステ一ノ瀬志希。そして最後にこれら以外の一ノ瀬志希だ。本当はスターライトステージを細分化できると思うんだが、それをやると無限に細分化できてしまうのでやめる。めんどい。そして、CDのボイスドラマのうちソロCDについている目指せ!シンデレラNO.1一ノ瀬志希編とマジックアワーSP第11回はデレステモバマス、両方共通のものとして扱うこととする。別に性格には深く関わらないし。

共通事項

 岩手出身18歳の女子高生アイドル。帰国子女。ギフテッドであり以前は合衆国の大学に通っていたが飽きたため帰国。専攻は化学及び生物系。特に神経伝達系に作用する薬物についてだろう。飛び級は小学生の頃だと推測される。学位は不明。本人がDr.を名乗ることは多々あるが、実際に博士号を取得したかどうかという点では信憑性に欠ける。自宅のガレージを研究室にし、そこで生活している。

 性格は表面上は大胆不敵。よく言えば柔軟、悪く言えば適当。興味あることはとことんやるが、ないものはすぐ飽きる。典型的なギフテッド像にそった性格と言えるだろう。

 両親は父親は同系の研究者で同じラボに所属、母親については詳細不明。もっとも親への言及はデレステのみだが。同じくデレステのみだが変化はしないだろう情報としては大学の所在地がNYであることだろうか。なんとなくそういう系ってカルフォルニアマサチューセッツなイメージあるけどNYらしい。NYの大学は正直法学政治学経済学のイメージがなぜか強いけど、そういえばスパイダーマンの蜘蛛ってたしかコロンビア大だし言われてみれば普通に理系も強いのかな。しらんけど。

まあこれらは基本変化しない共通事項だろう。表面的性格としたのには理由があるが、それは後に扱う

モバマスにおける一ノ瀬志希

 結論からいこう。モバマスにおける一ノ瀬志希という人間はあまり表面と内面の性格の乖離は無い。内面があまりにも揺るぎないために、変わりようが無いからだ。

 君は、自分というものをしっかりと認められるだろうか。自分というものをしっかり認めた上で、これで良かったと言い切れるだろうか?

 これらをやり遂げたのが彼女なのである。

 【純白の化学式】思い出エピソード後編において彼女は「私は昔から変な子だった。でも私はそれでよかった。ギフテッドの私にとっては普通じゃないのが普通なの」という趣旨の発言をしている。これは生半可な思いで言えることじゃない。自分が普通とは違うということを肯定的に受け入れるというのはとても難しい。私はコレを言い切れる彼女はとても強いと思った。私には到底言い切れないと思ったからだ。確かに憧れはあるのだろう。それでも、今の自分にとってはこれが普通だと言いきれる。それが彼女のいい点だ。彼女は確かにギフテッドだからと特別扱いされることに思うところがあるかもしれないが、しかし【花舞うトポロジー】思い出エピソード後編での「私の才能をキミのために」という発言は自分の特性への誇りと自信が垣間見え、自身の特性自体は否定していない。

 そして彼女にはあるポリシーがある。明確に発言しているのはコレまた【純白の化学式】だが、特訓後のセリフに「今を生きるのが幸せのレシピ」だという趣旨の発言がある。こういった考えは古代ギリシアエピクロス辺りまで遡れるのだが、彼の思想の流れを汲んだ詩人であるホラティウスがある詞を残している。その一部はとても有名だ。Carpe diem。その日を摘め。アイマスPにはシャニのBloomy!だよといえば通じやすいかもしれないが、結局のところその日その日を生ききるのが幸せにつながるということだ。実際、モバマスにおける彼女はその指針に従って行動していて、基本どのカードやイベントでも自分の思うままに行動している。中でも特徴的なのは【セブンスヘブン】と【花舞うトポロジー】、そして北海道アイプロだろう。彼女は意外と気が利くのだ。プロデューサーが事務所にこもりきりならば外へ連れ出してストレス発散を無理矢理だがさせるし、北海道アイプロでは迷子の保護を「悲しい匂いは好きじゃない」と自主的に行い、年下であるナターリアに彼女の国の言葉で水族館の展示の解説をしようかと提案する。おそらく、自分が今を生きる上で、周りも幸せであったほうがいいという考えなのだろう。正直私なんかと比べるのが烏滸がましいほどに人間というものができている。キャラクターなんだから当然?お前それデレステ志希見て同じこと言えんの?

 つまるところ、陰気なところを感じさせない朗らかな存在なのだ。自身を認め、そして今を楽しむことを追い求めるという人間として最上級のあり方が彼女からは見られるのだ。デレステPからすればダークな一面が強いように感じられる彼女だが、モバマスの彼女からは、そういったものは一切感じない。そもそも、デレステでは化学をやめて帰ってきたのがある種の中2的な全能感からの中2的な考えな結果なのに対して、モバマスにおいての彼女は積極性を失ってはおらず、そもそも化学自体への興味が未だに維持されていることが【新春パルファム】から伺えることからして、何もかも違うのだが。

 また、人間との交流に関してもモバマスにおいては依存ではなく対等な関係を築いている。デレステにおいては周囲への依存傾向があると考えているのだが、モバマスの彼女は自分というものがすでにあるので、自分の意思で、自分の考えで、自分の思うままに才能を活かす事ができる。そういった点でデレステの彼女よりも何歩も先を進んでいる。デレステの彼女が清澄のエッセンスで自分の持つギフテッドという特性をようやくプロデューサーという存在を通じて肯定できるようになってきたのに対してソレが出る半年前に私の才能をキミのためにと言ってるのだから当然なのだ。

デレステにおける一ノ瀬志希

めっちゃ種類あるけど、まあ大体大まかにやるね。とりあえずさっきの反対だと思っとけばいい。自分の才能に自信はあるにはあるけど、その自信が変なふうについちゃって自己肯定に結びついておらずむしろ自嘲にすらつながっているという点でモバマスの彼女とは全く異なっている。世界に対する認識も、なんでも面白いと思える素直な心から全部わかったからおもんないといったふうなひねくれた認識へと変化してしまっている。この辺はインビテーションダイブやバベル見ればわかると思う。正直誰こいつ...ってなるくらい振る舞いと言動がモバマスと違くてビビる。デレステ内でも統一されてないから怖い。

真面目な解説をするね。眠いけど。なんで朝四時にコレ書いてんだろ。

とりあえず、デレステ志希とモバマス志希の乖離というものはデレステにおいてはキャラクターの成長を描きたいのだろうというものがあって、その成長と言うものを感じられるものんがアイロニカルエトランゼから清澄のエッセンスまでの一連の流れなので、とりあえず大雑把に説明していくね...

まあアイロニカルエトランゼってのは直訳すると皮肉屋な旅人*2っていう意味なんだけどもまあ当然言うよね、アイロニーを。特訓前の親愛度セリフは基本皮肉でできてると考えていいと思う。彼女にとってはNYはどこでもない街ではないし、ギフテッドは一人でないとなんて考えは現在の彼女にとってはすでにバカバカしいと感じられるものだから。でも昔は一人でないとと考えていて、そんな自分はバカだったなと皮肉を言っている。NYくんだりまで行く皮肉屋な旅人だから、まあカード名との接合性もバッチリ。*3ここでNYにいた頃の自分自身をバカバカしいと皮肉って過去の考えと決別し、そしてクレイジークレイジーでその頃の自分に何が足りなかったのかを見つめ直すためにフレデリカという相方と再びNYの自身のかつていたラボに舞い戻る。バベルはあんま好きじゃないし要約するのも面倒なんですっ飛ばしますが、まあ年下焚き付けて先輩風を吹かせてるような空気感がまああるっちゃあるんで、そういう年頃って多めに見てあげましょうや...あれで一番大事なのはプロデューサーと出会った時にすでに私はバベルの塔を飛び降りたっていうセリフなのでそこだけ回収して次進みます。清澄のエッセンスは特訓後は塔を降りてきているイラストですがまあ要は一人だけでこもる象牙の塔は退屈だから降りようってことです。その途中でPと出会ったのは運命だねみたいな話ですねはい。で、ギフトに今まで振り回されて生きてきたけど、君のおかげで使うもんだって気づけたよみたいな話ですねはい。無いほうがいいと思っていたギフトがどんなものにもなる「あたしをあたしたらしめるもの」に成長したって話ですはい。まあこれが成長の本質、成長のエッセンスっちゅーものなんでしょうね。

 ここまできてまーだデレステ志希はモバマス志希の領域まで立ててないんでこれからも成長するんでしょうけど、別に最初からモバマス志希で出せよ...って思うし、レレやD3イベみたいなデュオユニット以外のイベントだと典型的ななんというか....ダメな天才キャラというか...なんというか...ライターさんギフテッドって概念嫌ってないって感じの描き方されてるんでなんというかうん...。まあこの話はここでやめにしましょう

 で、結局彼女は成長できはしたんですけども、その自己の確立というか、そういったところでかなりプロデューサーやフレデリカに依存してるように見えるんですよね...ギフトの使い方も君がいたからみたいな空気出してますし、なんというかどっちかかけたら危ういんじゃっていう不安定さが醸し出されていてとてもつらい。モバマスだとPとはアイドルとPとしての信頼関係、フレちゃんとは親友としての信頼関係をきちんと健全に築けているのに...デレステではあれもう二人の保護者に依存してるように見えてね...

 まあそういう課題があるからそれを乗り越えるんじゃないすか?しらんけど

結論

まあここだけ見ればいいけど、デレステの志希とモバマスの志希が別人だってわかればそれでいいんじゃないすかね。デレステの志希はまだまだ成長途上、モバ志希は確かな自分ができている。だから両者の間に決定的な差があって、まあそれが違和感として噴出するし、意図的に混同してる同担への違和感につながってるんだと思うんですよね。だってモバマスだけ見てりゃ志希ちゃんのファンサある程度いいのは想像つくし...そりゃデレステだけみたらお世辞にもファンサいいなんて全く思えないけど別人なんだからしゃーないじゃん。混同して成長したねは違うでしょ...モバマス志希ちゃんはもとから周り見えるいいこだっつーの。TLで前見かけたギフテッドが呪い云々、自分自身の地雷に刺さったから嫌いだけどあれも全部デレステだけ見てればある程度正しいわけであれに正当性与えるとかまじでデレステ運営糞だわモバマス志希だったら絶対そんなこと思わんだろボケ。自分の特性を呪ってたらあんな自信と誇りに満ち溢れた発言できないっつーの!

まあぐちをぐちぐち書いても仕方がないのでここで終わりにして寝ます

*1:別に逆シャアベルトーチカ・チルドレンでもいい。とにかく同じタイトルで同じキャラ出てるけど違うということが言いたい

*2:語源的には仮面をかぶった旅人でもいいかもしれない

*3:語源からとった仮面をかぶった旅人とするならば、過去の彼女は孤独な天才という仮面を付けて帰国している。そんな彼女自信をアイロニーで笑い飛ばすってのはまあ流石に運営の人そこまで考えてないと思うよってやつでしょうけど

P・ジュースキント『香水』を読む~秘密のトワレとの対比と、秘密のトワレの考察

お久しぶりである

皆様はこの夏、どのように過ごしたのだろうか。私はというと、もっぱら夏期講習に勤しみつつも、息抜きにクリストファー・ノーランの映画を映画館で鑑賞していた。私は彼の作品でインセプションが一番好きなのだが、銀幕で見たことはないので新鮮だった。IMAX万歳。TENET劇場公開おめでとうございます。早く観に行きたいものだ。そんな時間があるかは知らないが

さて、以前から秘密のトワレ作曲の際に参考にされたというP・ジュースキントの『香水』を購入しようと考えていたのだが、ようやく若干の金銭的余裕ができたので購入した。実をいうと、以前書店で流し読みし内容をある程度知ってはいるのだが、やはりしっかりと腰を据えて読みたいという気持ちがあり、購入するに至ったのである。

この小説はドイツで発行され大ベストセラーとなり、映画化され、パフューム ある人殺しの物語として日本では配給された。私の大好きな俳優であるアラン・リックマンジョン・ハートが出演しているらしく、ぜひ鑑賞をしたいと常々思っているのだが、残念ながら未だにできていない。小説は厳しいという方はこちらから見るのもいいだろう。

さて、内容についての解説は、調べたら出てくるだろうから書きたくないのだが、この記事の目的であるところの一ノ瀬志希のソロ曲であるところの『秘密のトワレ』との軽い対比をする上で、ある程度は重要であると考えるので、大雑把にすることとする。なに、現代文で要約の問題を解いているのだと思えば、この程度は容易い。

まあ、手短に話すならば、驚異的な嗅覚を持つが自身の匂いというものを持たない、関わったほぼ全ての人間を不幸にする(死は不幸あるとするならば。とある人物は死にはしたが自説の誤りを知ることなく死に、信奉者がその死によって増加し、受け継がれているので、私はある意味でその人物は幸せだと思う。)人殺しの話である。もっとも、『香水 ある人殺しの物語』というタイトルを見れば誰だってこの小説は匂いに関連する人殺しの話なのだと一瞬で理解できるのでこれでは要約ではない。それでは始めようか。

フランスはパリで生まれた匂いのない男の子、ジャン=バティスト・グルヌイユは驚異的な嗅覚の持ち主だ。一度嗅いだ香りは忘れず、それを組み合わせて新しい香りを脳内で作り出すことすらできる。また、匂いだけで何がどこにあるのか完全にわかるのだ。それを奇妙に思った乳母が皮なめし職人へ彼を売り、そこから物語が徐々に転がりだしていく。彼は皮なめし職人の徒弟となるのだが、最終的にはある程度の自由を許可される。その自由な時間に彼は今まで嗅いだこともない理想の匂いを見つけ、それの発生源である少女を殺し、思う存分体の隅々の匂いを嗅ぎ、それを脳へと焼き付ける。我々からすれば変態である。第一の殺人だ。その後、彼は実際に匂いを作り出すすべを学ぶべく、香水職人に弟子入りする。そこで初めて香水を実際に作り出したシーンがこの小説の最初の山場だろう。この作品における殺人はあまりにもあっけなく淡々と終わるので、山場にはなりえないのだ。最後の殺人ですら。そして、そこで香水を作るすべを学び、匂いを抽出するすべを学ぶのだが、残念ながらその手段は彼にとって完璧と言える手段ではなく、その他の匂いの抽出法を学ぶべく、グラースへと旅に出る。ただ、いざパリを出ると、人間というものが嫌になって七年間も山の頂上に引きこもる生活を始める。そこで自分に匂いというものがないと気が付き、あまりの気味の悪さから、人里へと帰還する。そこで自身が七年も盗賊に閉じ込められていたのだと嘘を付き、私は香水職人だから香水を作らせてくれと香水の工房を借りて、人間の匂いを猫の糞などおぞましい材料で作り出した。それをつけることで初めて、彼は気味の悪い何かではなく、人間として扱われる事となったである。その後彼は当初の目的通りグラースへと行き、様々な匂いの抽出法を学ぶのだが、その時パリでかつて嗅いだ最高の香り、いやそれ以上の香りを持つ少女を発見する。彼は思った。なんとしてもその香りがほしいと。そして、その香りをもって究極の香水を作るべく、手始めに様々な美少女を25名殺害し、その香りを奪った。そして、その女性の香りが最上へと達したその日、彼はその少女を殺し、全身から香りを奪い、髪や衣服からもその少女の香りを抽出、究極の香水を作ることに成功する。しかし、殺人犯であることが知られ、彼は逮捕。裁判にかけられ死刑が確定する。処刑の日、グラース中の人々が処刑が行われる広場へ集まり、グルヌイユの処刑を今か今かと待ち望んでいた。そして、彼が処刑場へ馬車で降り立ったその時、その場にいた誰しもが、彼が神であり、無罪であると確信した。究極の香水を使った彼は、その場にいる全員にとって愛おしく、また神々しく感じられたのだ。広場に集まった市民たちはわけも分からず乱交を始め、自身が殺した娘の父親が自身を息子と呼ぶ。そんな光景を見た彼は絶望し、パリへと戻った。彼はパリで浮浪者たちのグループへ紛れ込んだ。そしてそこで究極の香水を大量に使い、その身を彼らに喰わせこの世を去った。

これが大まかな流れだ

では、秘密のトワレと対比、といってもたいして対比するものはないが、対比していこうと思う

両者とも人間の体から匂いを抽出し、それを用いて香水を作るという点で一致しているが、大きく違うのはその目的である。この小説では自身がその香りを楽しみたいがため、またその香りをまとって自分の才能というものを顕示し、匂いによって神になるために作り出したのだが、秘密のトワレは可愛らしいもので、意中の殿方を手に入れるために自分の匂いを抽出し惚れ薬として香水を作り出す。これは大きな違いだろう。つまるところ、グルヌイユは匂い以外に興味などない、愛を知らぬ人間であったが、トワレの少女は愛を知り、相手を自分のものにすることを切望する可愛らしい少女らしい少女なのだ。

そして、目的が違うのだから、当然匂いを抽出するするために殺人を犯すか否かも変わってくる。グルヌイユは究極の香水を作り出すためには殺人は厭わない。現に26人もの少女を殺害し、また幼少にもうひとり少女を殺している。しかし、トワレの少女は自身の匂いを抽出し、それを用いて相手を自分のものにしたいのだから、当然抽出のために殺してしまっては意味がない。自分を殺したら誰が抽出し誰がそれを使うというのだろうか。

対比できる点は大まかにこの2つだろう。そして、これら2つを見比べていると、何かに気づかないだろうか。

私はこう考えた。意中の人物を手に入れるために、自身の持つ魅力を利用することは、なにか悪いことなのだろうかと。考えても見てほしい。外見に自信がある人間はその外見を、性格や言動に自信がある人物はそれを、学歴といった社会的ステータスがある人間はそれを利用して恋愛をうまく運ぼうとするのは自然なはずだ。では匂いでは?匂いももちろんそうだろう。そうでなければ香水の種類というものはこうもたくさんあるわけがない。

では、彼女がとった行動というものは、一体どんな問題があるのだろう。何も問題はないはずだ。自身の魅力を最大限に利用し且つ、薬を用いて恋愛状態にあると錯覚させる。それは外見に自信がある人間が化粧をして、吊り橋効果やらなにやらといった駆け引きを利用して恋愛状態にあると錯覚させることと結果的に見れば同一のことに過ぎない。それは皆がやることであり、問題性があるというならば恋愛というものが問題になるだろう。

ならば、彼女が言うところの"Cupidoの戯れ"を彼女自身も形を変えてやっていると考えられないだろうか。そもそも自身の匂いを抽出し、それを用いて惚れ薬をつくるなんて、時間も労力もかかるだろう。時を無駄にはしない主義だというが、前述のことを考えるとそれはある種の矜持であると考えられる。例えば顔に自信がある人間はその魅力を最大限に利用して意中の人物を陥落せしめた際に、時を無駄にしたと思うのだろうか。思わないはずだ。

つまるところ、愛の表現方法が多少ずれているだけなのだ。人間は言葉で愛を紡ぐが、彼女は匂いで紡ぐのだ。考えても見てほしい。好きでもない人間に自分の匂いを最大に引き出したものを嗅がせるだろうか。そもそも好きな人物に匂いを嗅がれるのですら、普通の人間は嫌がったりするものだ。ならば、ありのままの自分を見せつける彼女の行為は、我々が俗に告白というものと、なんら変わりのないものだと言えるのではないだろうか。

そしてこの解釈でも"Crazy things"や"清浄なる世界~"の意味は通るのではないだろうかと私は思う。一般的な愛情表現とずれているならば、たしかに相手の男性にとっては奇妙なことに見えるだろうし、そのズレが無い状態でこうなりたかったとしても、本当の自分を見せつけたあとではもはや戻りようはないのである。なればこそ、彼女は優しくごめんねと言うのだろう。キミと違う、あたしのやり方を押し付けてごめんなさい。できることならば、キミと同じでありたかったけれども、でもあたしはキミと違うのだから、これは仕方がないじゃない?だからごめんねと。私はこれにもののあはれとやらを感じるし、これもまた、これを歌う一ノ瀬志希らしさというものが出ているのではないだろうかと思う。

実は、自分に自信のない女の子が惚れ薬を使ってだとか、合理主義的に薬を使うのが手っ取り早いから薬を使うだとか、そういった曲が彼女の曲であることに少し違和感を覚えて居たのだ。なぜなら彼女は自信の塊であり、そして人生を楽しみつくそうという人間で、前者の解釈とあまりマッチしないと感じてしまうからである。ようやく自己流の解釈が見つかったと思う。何であれ、本を読むことは視界を広げることに他ならないと実感した。

お目汚し失礼した。正直理論展開に穴があったりするのはわかっている。ただ私が言いたいのは、「これはこれで面白いじゃない?」ということ、ただ一つだけである

読書をした~ジョン・ル・カレ『スパイたちの遺産』と『寒い国』『TTSS』

ジョン・ル・カレ最新作....とはもう言えなくなったが、『スパイたちの遺産』を読んだ。名作である『寒い国から帰ってきたスパイ』(以下寒い国)と『ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ』(以下TTSS)の半世紀ぶりの続編である。
年老いたピーター・ギラムを語り手として進むこの作品は、冷戦が終結し情報機関には清廉さが求められるようになった現代と、体制のために個人を切り捨てる―しかも自由や民主を掲げる西側国家ですら―過去の戦いだ。作中の人物(私は彼を筆頭とした現代の世代の人間に一切共感を覚えなかったが)の言葉を借りるならば、「清廉潔白な今日の世代対あなたがた罪深い世代」となる。
もっとも現代の情報部(もはやサーカスでなくエンバンクメントのグロテスクな現代建築に本部を置いている)からしても、過去の亡霊が現れ、牙を剥くなんていう今回のような事態はたまったものではないのだろうとは思うが。しかし、それはスマイリーでなくギラムを呼ぶ理由にはならない。
引退してブルターニュロリアン近郊で余生を過ごすおそらく70代後半、もしかしたら80代のピーター・ギラムのもとに、一通の、見る人が見れば情報部からのそれとわかる手紙が届く。それでロンドンへ呼び出されると、どうやら『寒い国』の一件で、アレックとリズの遺族が提訴したようだった。『寒い国』で確かアレックに子供が居ると言及があったように思えるが、リズは意外だと私は思ったが、ギラムも同様で、リズ、エリザベス・ゴールドに娘がいた事に驚いていた。
そこからは懐かしき『TTSS』のように資料を読み過去へ戻る事となる。所々差し込まれる真相を知らない現代人の無神経さに苛立ちながら(ギラムはもちろん、我々も真相を知っている。『寒い国』を読んでいればの話だが)ギラムが見た『寒い国』の裏側へと潜っていく。暗号名チューリップとギラムの関係はその最たるものだろう。
繋がりが薄かったように感じる『寒い国』と『TTSS』がつながっていくのがはっきりとわかった。ただ、アレックが"もぐら"として我らがコニー・サックスとジェリー・ウェスタビーを疑っていたというのは、おかしくてたまらなかったが。そして驚きなのは、ムントと接触していたのはあのジム・プリドーだったという事だ。スマイリーとともにリズの部屋に訪れたのも、おそらくプリドーであるという事にも驚いた。私はあれがギラムだとばかり思っていたが、考えを改めなければならない。そして、プリドーもスマイリーも、まだ生きていて、正直一体何歳なのかと思うが、健在だったのは喜ばしく思えた。プリドーはまだあの学校のあの窪地で暮らしている。スマイリーはドイツへと居を移し、そこの大学で本を読む日々だ。
さて、『寒い国』ではスパイの世界、あの冷戦の最前線の事を寒い国と読んでいた。ギラムもスマイリーもプリドーも、あの時代あの世界にいた人間は、まだあの寒い国から、我らが暖かい国へと帰れていないのではないだろうか。普通の戦争に行った人間が戦場から帰ってこれなくなる事は世間でも承知の事だが、彼ら冷戦の兵隊もまた、同じなのかもしれない。