元浪人生の大学受験記

元浪人生の雑記。志望校は東京大学文科一類だった

定期更新

志希にゃん総合6位属性2位おめでとう。来年はCG取れる

 

艦これのイベントが始まってしまった。もうなんというかここまできたらやめるわけにはいかないという思いでE1をとりあえずクリアしたのだが、E2を前にして意欲が完全に消え失せている

 

最近絵を描きたいなという思いが強くなっている。しきフレでMIBごっこやらせたいのだが画力がないので描けないのが辛い

定期更新(遅刻)

スマホのプレイリストに志希にゃんのソロが全部揃った。レンタルできるCDが3つなので4つもCDを買うことになったが手元にあるのはいいなぁと思いレンタルした3つも買おうかななどと考えている
きゅんきゅんまっくすのCDを買ったときにKeep Calm and Carry Onのソーラーライトを見つけたのだが、躁状態の時のように550円無駄遣いしなかったのを褒めたい
東大の赤本を買ってきた。買ってきただけではだめなのは重々承知だが持ってるとなんとなく安心感があるし、自分はここを受けるのだという思いになる
受験終わったら女性名のアカウントでメルカリにでも流せば高めに売れるだろう

ジョン・ル・カレの地下室の鳩を買った。正直今読む本ではないが、ル・カレの作品は好きなので読んでいきたい。積ん読を消費しろという自分の声は無視することにした
ナイト・マネジャーは結局きちんと見れていない。受験後にきちんと見ようと思う。HBOのチェルノブイリもその頃には字幕版がアマプラかネトフリで見れるようになってるだろう。
崩壊する巨塔を1話と最終話だけ見返した。アリがコーランを使ってアルカイダメンバーの心をへし折るシーンは何度見てもスッキリするのでとても良い。タワーが崩壊するシーンはあまり好きではないが。

さて、起きたら寝る前にまた定期更新をしてペースを戻す。書くことは何にしようか

ドラマが見たい(定期更新)

10連休が終わったなどと世間では言っているが時間がない
とりあえず、白チャートは一段落つき、机に向かう習慣がついてきたので良いことだと思う
さて、ナイト・マネジャーのドラマ版を見つけてしまったのだが、私はどうすればいいのだろうか。ル・カレファンとしては見逃せないのだが、今見るべきではないのは重々承知である。2話まで見て最終話の最後らへんも見てしまったが、見るべきではないのは重々承知である
さて、今日はアイスの日だったらしい。私は爽の抹茶ティラミスを食べた。皆さんはどのようなアイスを食べたのだろうか

定期更新(遅刻)

日曜日に更新する?そんな事も言いましたね

本田とじゃんけんしたり本田とじゃんけんしたり本田とじゃんけんしたりデレステしたりしていて忙しく更新を怠っていました。本当に申し訳ない(画像略)

数学1をやっているのだが、かなり簡単にサクサク進むのだがデレステのイベントやったり映画見たりと文化的な生活を送っていると勉強するのを忘れてしまうのである。余裕やんと3Hくらいで不等式まで適当に終わらせて今日まであそんでいた。いい加減勉強やれや無能と自分に言われたので明日からきちんと頑張ろうと思う。

個人的なギフテッド論

どうでもいい前置き

最近、デレステをはじめた。志希にゃんが好きです。かわいいから。志希にゃんが好きです。歌声が好きだから。志希にゃんが好きです。かわいいから。
まあ、そんなとてもかわいい志希にゃんはこの記事の内容には全く関係ないのですが。
志希にゃんのセリフに、一つ引っかかる単語があった。ギフテッドという単語である
ギフテッドというものは、wikipediaによればこういうものらしい*1

ギフテッド(英: Gifted, Intellectual giftedness)は、先天的に、平均よりも、顕著に高度な知的能力を持っている人のこと。または、先天的に、平均よりも、顕著に高度な知的能力を指す。

話は変わるのだが、私はADHDモドキであり、完璧主義であり、また、双極性障害である。
昨年か一昨年に、幼少期、私が発達障害なのではないかと真剣に悩んだことがあると聞き、いや間違ってないと思うよ?などと考えながら傷ついた経験があるのだが、まあ親からそういった心配をされるほど"変わった子"だったのだろう
また先日親と口論となったのだが、世間一般の人間は0か100かで物事を考えないらしい。当然である。私も当然だと考えるがそうは思わない。
親はまあ、発達障害でもその分他のことで優れていることがあるのでもしそうでも気にしなくても良いなどと当たり障りのないことを言っていたが、まあ言うよね。それじゃ完璧じゃないからだめじゃんって。頭の中ではこれは優生思想につながる悪い思想であると理解していても、言ってしまうのだ。完璧でないなら意味がないと心が判断するがゆえに。自分は完璧な人間でないことは百も承知だが、それでもそれを認めるのは嫌なのである
そこから話は派生していきまあ完璧な人間などいないなどという至極当然なことを話したりした。曖昧というものはあるしグレーゾーンというものも多い。なので完璧ではなくていいと言うのが親の主張であった。まあ、わかる。わからないが。私はとりあえず相互理解を図るためにこちらもこちらで私にとっての当たり前を主張した。
例1:ゲームでミスすると即リセット
まあこれは皆やるだろう。当たり前の行為だ。ここには親もまあやるときはやると不満げに同意していた。
例2:提出物を一度出し忘れたら、そこからは提出しなくても期限に遅れても一切気にしない。一度忘れたことにより完璧ではなくなったのだから以降何しようが完璧じゃない状態が続くだけなため
親はそれは違うと言っていたが、確かに違うのだろう。普通は一度忘れても次だそうと思うのだろう。でも、それに意味はあるのだろうか。完璧でなくなったものは完璧なものにはなりえないのだ。ならば、その後いくら提出物を出したところでは完璧にはならないだろう。完璧にならないのにやる意味とは一体何なのだろうか。失敗したのだから、こちらは早急にリセットしたいのである。学生生活の中では年度が変わるとリセットされると認識しているのだが、能動的にできるものではないので、失敗した瞬間から年度末までの瞬間は私にとっては苦痛でしかない。デレステで序盤でコンボ一度切ってしまったあと、曲の残りを叩くか否かは私に選択権がある。しかし、現実には私に選択権はない。コンボを切ってしまったという耐え難き苦痛が延々と続き、モチベーションというものが消え失せる。まったくもってクソである。仕方のないことだとはわかっているが。
他人からの評価を考えると、確かにその後きちんと提出するのはとても正しいのだろう。理解できなくはない。
しかし、満点以外の評価に価値なんてないのだから出すだけ無駄ではないだろうか。なぜ、満点以外でも良いと思えるのか。私には理解できない。
この時点でもはや親は呆れ果てていた。当然だろう。私だって何いってんだこいつと正常な自己判断ができるのだから。理性的な部分では親に同意できるし、そのようにあるべきだと思うが、感情的な部分で理解できないのである。この時点で決裂したため、以降は親との会話では発言していないがまあ私が無職になったのと関係があるので書くこととする。
例3:自身が正当であると考える事情以外での事情で欠席した場合、それ以降行っても行かなくても同じであると考えることと、教師や同級生になにか言われるのではないかという恐怖心が相乗効果を起こし良くて数週間、悪くて二度と行けなくなる
私はこれで中学時代いくつも塾をやめたし、中学校自体も合計出席日数約600日中、200日以上は欠席している。更に昨年予備校を欠席した原因の9割はこれだった。
自分で逃げ場をつくってそこに逃げただけであるのは頭では理解しているし、これは完璧主義とは違ったものに見えるかもしれない。ただ、恐怖心といものは完璧じゃないとみられることに対する恐怖心であったため、一応完璧主義の一種とでもしておこうと思う。
高校をやめたのも上記理由で*2欠席日数がかさんでこのままでは3年で卒業できない。つまり完璧な状態で卒業できないのでやめたという経緯があるので、自身のこの思想はクソだと思っているが変えようがない。だれか助けてくれ。
他にも、私は趣味で小説や絵をかいているのだが、思ったようにかけないので基本的に全く公表しない。たまに公開しているがあれは勢いだ。
また、問題集をやるのにもとても時間がかかる。間違い一つあってはいけないと考えるからだ。ケアレスミスしてしまうので時間をかけた意味がないのだが。

話を戻そう。
ギフテッドというものの特徴は複数あるが面倒なのでwikiからOEを引用してしてちょこっと追加で書いて終わらせよう

OE(Overexcitabilities、過度激動)
ギフテッドの人間には異常なほどの熱情、並外れた集中力、一般人とは一風変わったふるまいが見られる。これは多動性障害、双極性障害自閉症スペクトラムやその他の心理的障害の兆候によく似ていたり、場合によってはおなじである可能性も否定できない。一方で、ギフテッド教育の専門家はドンブロフスキは「積極的な分離」(w:en:Positive Disintegration) [6]という人格形成理論を主張している。ドンブロフスキの積極的な分離理論の中核をなすのが、刺激に対する並ならない反応(OE Overexcitabilities 過度激動)である。これは神経の感受性が増すことによって通常の人間よりも刺激を生理的に強く経験する性質であり、ギフテッドの特徴である。

否定的な分離とは、一般社会的な生き方から受動的・破滅的に離れてしまうことで、行為の主体性を喪失するため精神病や自殺を引き起こす可能性がある。それに対して積極的な分離とは、一般的な受身の人生から離れるべく、まず対象から主体的に分離し、物理的あるいは精神的な距離を置くことで、より広い視野を俯瞰し、強い知覚に基づく深い理解を形成し、より高いレベルの認識を求め続けることである。たとえば、一般社会に対してでさえ積極的分離と再融合を繰り返すギフテッドは、自己や世界の概念が徐々に変化しながらも少しずつ社会の矛盾を解きほぐし、問題を認識し、最終的に独創的な生き方のビジョンを得てその解決や克服、その実現を目指す。しかし、その分離過程では、常に、緊張、不安、気分的うつ、恥、罪悪感といった精神的苦痛を伴う。その自己の葛藤は、常に深い感情作用と連動しており、人生の要となる出来事から日常の内省行為まで、世の中がそうあるべき姿と現実世界とのギャップを思い知る強烈な機会となる。

ドンブロフスキは、短時間の単純な感情は人格の成長にあまり影響はなく、否定的感情も含めた激しい感情作用こそが人生を変えるような劇的な体験をもたらし、積極的な分離を起こすと考えた。つまり精神的苦痛は、個人が心理的により高いレベルへ成長するために不可欠であり、その深い感情作用を最大にもたらすものはOEである、と結論付けている。ギフテッドの子供が、OEという平均以上に敏感な精神状態にあることは、勉学や芸術で著しい成果をあげるだけでなく、日常におけるすべての活動においても精神に特異な反応を起こしていることを示す。つまりギフテッドは、誕生時より常に外界・内界両方からの刺激を増長した精神で感じ、激しく深い幅をもって経験し、内省を繰り返していることが、彼らの著しい成長に関連しているという仮説である。

ドンブロフスキはOEを次の5つの分野に区分けした。

精神運動性OE:一般的に「落ち着きがなく頭の回転が速い」印象を与えるもので、身体的多動だけでなく、話すスピードが速い、話が一気に飛躍する、頭が働いて眠れない、という精神的多動を示す。
知覚性OE:「神経質」という言葉で表される性質で、増長した知覚意識を持ち、まぶしい光、大きい音、匂い、触感など感覚器官に与えられた刺激に過剰に反応する。靴下の縫い目や服のラベルが気持ち悪かったり、隣室の時計の時を刻む音が気になって集中できない、などの例がある。鋭い感性は、幼少の頃から絶景に息を呑み、名曲に涙を流すといった美的感覚にも通ずる。
想像性OE:隠喩などの詩的表現に優れる。「注意力散漫」と見られ、「おとぎの国の住人」と揶揄されるほどの強い想像力をもつ。白昼夢を楽しみ、前夜見た夢にも過剰に反応する。いわゆる英語圏で言うところの、"think out of the box"(枠にとらわれない独創的な考え方)あるいは"think different"ができる能力として賞賛される資質である。
知性OE:一般に広く知られているギフテッドの特徴。知識とロジック、新しい意味を渇望し、疑問を追求し、理論的な分析や真実の探求を愛する。そのため高度な科学・ドキュメンタリー番組を好んで見たり、頭脳パズル、知覚・論理ゲームを好む。
感情性OE:感情の種類と幅が大きく「ドラマチック」な反応を示す。より楽しみ、より悲しみ、より腹立ち、より驚き、より恐れ、より共感する。深く感情移入し、愛着心、責任感、自省意識も非常に強い。ある程度の人生経験を持つギフテッドには、相手の気持ちを鏡のようにリアルタイムで読取り、共感する人もいる。
どの分野のOEが強いかは個人差がある。たとえば、高い知覚性OEを持つギフテッドは外界からの刺激に対して非常に敏感であり、五感のいくつかが働きすぎて作業に集中できないため、混雑や混乱した環境を避けようとする。一方、知覚性OEが低く、妨害をすべて遮断して作業や思考に集中でき、むしろ五感への刺激が存在する只中に身を置くことを好み、その状況下で上手くやっていけるギフテッドもいる。OEが強いほど毎日の生活が強烈な体験となるが、特に想像性、知性、感情性において過剰に反応する人は、他人に比べて日常生活を深遠に体験し、人生の苦楽も激しく感じる。

上記以外にも、一生懸命勉強せずとも際立った学習成績を修めるという特徴やら完全主義の傾向があったり、現実的な高い自己基準を持っていたり、早い時期からLOCを発達させ、自己を厳しく評価または非難する傾向がみられたりするらしい。

バーナム効果だと脳で理解しているが、正直なところよく当てはまると思っている。
あくまでそうであってほしいという願望に過ぎない。自身が障害者ではなく、ある意味ポジティブに取りうる存在かもしれないのだ。積極的に否定したくないだけである。
精神運動性OEに関してだけでもしょっちゅう指摘される。話のスピードが速いからもっとゆっくり喋ってくれだとか、話を飛躍させるなだとか、貧乏ゆすりをやめろだとか。人と会うたびに言われてしまう。でも、話のスピードが速いのは速くしなければ私が喋りたいことを喋り切ることが短い時間のなかでできないせいだし、話の飛躍だって、私の中では完全につながっていることであり、飛躍してるだとか分かりづらいだとか言われても、どうしてこれがわからないんだクソ野郎としか思えないのだ。貧乏ゆすりに関しては正直謝ることしかできないが。
知覚性OEに関しては、私はとても耳が良い。良すぎて眠れない。どんな些細な音でも気になってしょうがないのだ。クソくらえ。
想像性OEに関しては、隠喩などに優れすぎて他人に伝わらないレベルだ。教養レベルの差を感じてしまう。私も教養レベルが高いとは言えないが、かなりうまい比喩でも伝わらないことが多々あり正直イライラする。下手なだけ?伝わる人間も多いし爆笑する人間もいるので私が下手なわけではないと信じている。想像力についてもお墨付きだ。強い想像力がなかったら、催眠音声など到底聴けやしない。
知性OEは、なんというか、冷戦期の相互確証破壊とかテロ組織、原子力事故について一定の知識があり911のドキュメンタリーばっかり見ていた小学校3年生って単語にうわぁ...と思う人間が多いのなら、文句なしに当てはまるのだろう。正直自分でもキモイと思う。おかげで311の福島のときはチェルノブイリほどじゃないから全然余裕だと落ち着いて行動できたのだが、それは小学校4年生ではない別の生き物だろう。一応いるにはいるだろうが少数派であることは確かだ。
感情性は...無いな。
完璧主義は先に書いたとおりだし、一生懸命勉強せずとも際立った学習成績を修めるという特徴については昨日?おととい?書いたような記憶がある。
まあ特徴的には当てはまらなくもないだろう。
そのため以降は私がギフテッドであると仮定して書いていく

どうでもいい本題

さて、ここからが本題なのだが、ギフテッドとは何なのだろうか。
希望なのだろうか。それとも絶望なのだろうか。
正直私は私がギフテッドなのはあまり嬉しくない。完璧主義もギフトなのならば、そんな贈り物を返送不可で送りつけてきた神には文句の一つはいいたいものだが、ニーチェいわく神は死んだらしい。私は誰に文句を言えばいいのだろうか。
そして何よりも、話が飛躍してるだとか分かりづらいだとか言われるのは精神的苦痛でしかない。どうしてもっと他者にわかりやすく自分の考えを伝えるすべをギフトとして与えずにそんなものを送ってきたのか、理解に苦しむ。うまく言語化できない私に責任があるのだろうか。
結局の所、ギフテッドというものは、ギフトがあるから優れているだとか、ギフトがないから劣っているとかではないのだ。
代償が正常な範囲に収まっているだけで、何かと等価交換した結果、ギフテッドになるのだろう。
私は良いギフトを使いこなせておらず、悪いギフトにばっかり引っ張られてきてしまったのだろう。
そういった意味では、ギフトとは今の私にとって、絶望の象徴だろう。
もっとも、そうなるように自分が選択したのだが。
しかし、希望にもなりうるのである。ギフトがあるのならば、神により与えられし理解力で受験勉強を効率的に進めることが可能だろうから...
結局の所、ギフトを与えられた人間の選択によって変わるのだろう。

*1:wikiソースなどろくなものではない

*2:大元の原因は起立性調節障害である。中学校の欠席も同様である

今後の計画

先程の記事を書いて寝ようと思っていたのだが、これを書かないことには恐らく何もやらないであろうことが容易に想像できるので、少なくとも今月の目標だけは寝る前に書いておこうと思う。実は計画を立てて何かをするということを人生で一度もしたことがないので、計画と書いておきながら全く計画を書かずに目標だけ書かれた記事になるのは許してほしい。

普通の人間は中学の頃から定期考査の際に計画を立てて勉強していたのだろうし、そうでなくとも受験の時(中学受験でも高校受験でもなんでもいい)くらいは計画を立てていただろうと勝手に考えているのだが、何分私が最後にまともに学校に通っていたとき(中2の半分までだったと思う)は自主学習などしなくても定期考査や実力考査で学年トップは余裕で取れていたし、通わなくなってからもそれを維持することは余裕であった。高校受験に関しては、何も考えていなかった。起立性調節障害になってからというものの私の生活は完全に堕落しきっており、完全に昼夜逆転してしまっていた。起きている時間は掲示板に入り浸り、ひたすら当時ハマっていた艦これで5-4*1を周回し続けた。受験日も朝5時就寝朝6時起床*2で、眠気に耐えきれずに試験中に寝ていた。それでも偏差値55くらいの底辺私立にはうかるのだから、底辺私立高校などろくなものではない。当時は、こんな生活を送っていてたまに午後から出席してテストだけサクッと受けて帰る人間に負けるだなんて、同級生たちは皆馬鹿なのか?それでも受験生なのか?と完全に上から目線で思っていた*3が、高校の内容がさっぱりできていない今の私に、当時の同級生たちを馬鹿にする資格はないだろう。ただ当時の自分の愚かさを恥じることしかできない。

どうでもいい前置きはここまでにしよう。書いてみるとクソみたいな昔の自慢としか見えない。ここは昔そんなことを考えていたクソ野郎のブログだと理解してほしい。当時からそんなことを考える自分はクソ野郎だと思っていて、最終的に躁鬱病になるのだがそれはまあどうでもいい話である。躁鬱は今年の1月にはある程度までは落ち着いたので、過ぎた話なのだから。そこ、ただの寛解期だとか言わないの。治ったと信じたいんだよこっちは。

ここからが本題なのだが、私の手元には現在僅かな参考書(全教科合計3冊)とZ会の教材がある。ただ、今Z会の教材をやってもできないだろう。できないことをやる意味は皆無である。よって、全教科3冊しかない参考書のうちの2冊である白チャート数1Aと数2Bを今月中に片付けて数学をある程度できるようにするのを今月の目標とする。まあ無理ではないだろう。白だしゴールデンウィークにでも青を買って取り書かれるようにしたい

*1:レベリングスポットのこと。ここを1日に何十周もするのは当たり前の行為であった

*2:起きて行動できたのは奇跡である。きちんと寝ていても体が全く動かない。立ち上がったら立ちくらみで倒れるような状態で1年半近く学校を休み続けた人間が、朝におきて受験会場まで一人で行けた事実が、奇跡以外になんと呼べようか。まあ、そんな状態で普通の公立や私立を受けようとしていたのが間違いであると今は思っているが。どうせ辞めるのだから受験料や授業料の無駄である

*3:県内トップの高校に行った人も複数いた、そこそこ裕福な層が住んでいる地区の公立中学だったので、正直なところ在住県のレベルが底辺なのだと思っていた。そこは旧帝か早慶に進むのが当然の高校なのだが