元浪人生の大学受験記

元浪人生の雑記。志望校は東京大学文科一類だった

独白

ギフテッドとか言って逃げているとある人間に言われた。その時私はカッとなってそうじゃないと怒っていたが、今思い返せば確かに逃げているだけなのかもしれない。
自分ができてしまう人間だと気づいたとき、それは小学生の頃だったが正直嬉しかった。皆がすごいすごいと褒めてくれたからだ。ただある時何もしなくなった。しなくてもできたからだ。そこから僕は課題も努力もしなくなった。
中学に入ると皆が成績の事を気にしだす。僕は何もしていないが上位にいつもいた。ただ、僕よりも努力している人が僕よりも下の順位なのに納得がいかなかった。バカじゃないの?とも思ったけど、そう思う事は良くないことだと思ったから嫌いだったし、何もしていない僕があんなにも努力している子よりもできてしまう事がものすごく申し訳なかった。上から目線かもしれないけど、心底そう思っていたし、今もそう思っている。努力していない僕はもっと底辺に居なければいけないんじゃないかと。なのになんで取れてしまうんだと常に罪悪感を感じていた。そんな時にギフテッドを知った。
僕は神に全てを押しつけて逃げ出したのだ。私のエゴを神が私に才能を押し付けたからだと断じで全て神が悪いんだと思い込み、自分を守ろうとした。
悪いことだと自分でも思う。ただ、今となってはギフテッドはそれだけで終わるようなものではないのだ。逃げるための物じゃなく、もっと大切な何かになっているから私は怒ってしまったのだろう。
自分でももっとこれを大切にしようと思ったし、自分が努力する事が、私が神に押しつけて逃げ出した、かつて私が犯したと感じていた罪に対する贖罪になるのだろうとも思った

一ノ瀬志希が嫌いという話

一ノ瀬志希が嫌いだ。厳密に言えば他アイドルと絡んでいるときの彼女が嫌いだ。

よく彼女がコミュニケーションに問題があるだとかなんだとかアンチに言われているのを見るが、あまりにも間違っていて腹が立つ。あれで問題がある?ふざけるな。あれはまだまだマイルドだ。何もわからないくせに好き勝手言いやがって。当事者として言わせてもらうが、明日またのラストだとかトラスト・ミー4話だとかバベルだとかクレクレだとか、正直まだまともなコミュニケーションが取れている。ギフテッドというものはあんなに上手にコミュニケーションは取れない。だから嫌いなんだ。コミュは嘘つきだ。馬鹿馬鹿しい。あんなきれいなもんじゃない。もっと汚いものであってくれなきゃ困るんだ。あれ如きでキレてるんじゃない。もっとクソみたくしろと声を上げろ。痛いだかってのも正直理解できる。でもね、本物はあんなもんじゃなく痛いんだよこれ読んでる人間はわかるだろ?どうだ?コミュに出てくるのせより痛いだろ俺は。

まあ結局嫌いな理由は自己嫌悪ってことで結論は出ているが、アンチにもオタクにも色々物申したいから適当にバッと書いていく

ギフテッドというものはもっと醜く意地汚いクソみたいな人間じゃなければいけないんだ。あんな眩しい姿を俺に見せるなぶち殺すぞ。俺をこれ以上惨めな気持ちにさせないでくれ頼むから。

明日または正直どうでもいいので飛ばす。あれは結局の所子供の悪戯と同じなのでギフテッド解釈に対して特に言うことはない。精神面コミュニケーション面と学力の非同期性があるのは仕方がない。特に、小学生以降ずっと大人としか接してないような特殊な環境にいた人間だし精神年齢小学生レベルなのはもっともらしい。別に僕は惨めにならないのでどうでもいいのだ。

トラスト・ミーは正直あれはある種地雷原に突っ込もうとした南条も少し悪い。南条の口にフライドチキン突っ込ませて終わらせてれば完全に大人の対応をしたということで終わりになっただろう。正直それで終わってれば大人だなと思うだけで僕は別に惨めな気持ちにはならなかっただろう。むしろそうあるべきだとすら思っただろう。

でもそうはならなかった。おそらく純粋な興味と、少しの反感がそうさせたのだと思う。ギフテッドは得てして幼少から正義だとか平等だとかそういったことを考える。そしてそんなものはこの世にないのだと悟り多少の絶望感を覚えたりしたりする生き物だ。そしておそらくだいたい小学生のうちにはその答えに至ることが多いのだろう。実際私も平等だとか正義だとか公平だとか、大昔は考えていたけども、ある種の諦観を覚えてしまった口だ。そんな人間からすればまだ希望が持てるなんて羨ましいよと皮肉の一つや2つ出てくるものだ。あの場面で。というよりも四六時中そんなことばかり世の人間に対して思っている歪んだ人間だ。だから私は自分が嫌いなんだがそれはどうでもいい。

それでだ志希、どうして君はあんな中途半端にやめてしまったんだい?いやわかってるよ。ギスギスしたコミュを見たい人は少ないだろうし、南条ちゃんの心をへし折るまでやったら運営は何言われるかわかったもんじゃないだろう。大勢の南条Pはブチキレれるし、私みたいな例外を除いた志希Pもなんでうちの子をあんな描写したんだとキレるんだろう。でもね、ギフテッドを描くならあそこで徹底的にやらなきゃだめなんだよ。だから所詮作り物としか思えないんだ。こと他人が絡むと。

1vs1じゃなくブレーキ役誰かいてあそこで止まるならばわかる。1vs1ならもっと徹底的に突っ込んで行かなきゃらしくない。

なぜもっともっと「なんで?」「なんで?」と徹底的に追い込まないんだい?

だから嫌なんだ自分の性格の悪さを突きつけられているようで嫌いなんだ。もっと汚くやってくれこっち側まで落ちてきてくれ。

お前はそこでこっち側に落ちてくる道を選んだんだよ。素知らぬ顔で自分はまだ明るいところにいるように振る舞うんじゃない。

次はクレクレだ。クレクレには言いたいことはいっぱいあるが、一番はオタクが嫌いだということだ。というよりも曲はイノタクも一ノ瀬も宮本も好きだから普通に好きなんだ。嫌いなのはレレのオタクだ。コミュにも色々言いたいことはあるが読み返してまで書くほどではない。

問題はバベルだ。正直これで一時期完全に同担を拒否していた。何無理な擁護してんだよあれでいいんだよあれで。あれがギフテッドってもんなんだ。でも本当はもっとクズだ。それだけははっきりと言っておきたい。あれは死ぬほどマイルド。漂白剤かけて真っ白にしてると言っていいレベル。一話で奏に愚痴ってるのは正直わかるわかるんだけど愚痴の内容もっとクズ度上げてOKそのへん徹底しろ。そんでもって飛鳥ちゃんは歩み寄るなんて優しいね。現実はそんなに甘くないふざけるな。現実をきちんと見せろ。でもって、他人を測るにももっと言い方ってものがある。率直すぎ。もっと相手のことを思いやってるような態度を取ることによって暗に小馬鹿にしているところを見せつけろ。それをやってこそだろうが。見れば見るほど自分の性格の悪さに腹が立つ

結局、自己嫌悪でしかないことはわかっている。でもね、そういった面をまざまざと突きつけてくるから僕はイベコミュの彼女が嫌いなんだ

個人コミュはそういった面が見えず頑張ってたり、もしくは一種の超越者然とした感じで嫌味やら何やら悪いところを感じさせない、光のギフテッドなんだが、イベントコミュだと唐突に私に現実を突きつける闇のギフテッドになるのをやめてくれ。ある種の理想の自分が現実の自分になるのは耐え難い。

だから私は一ノ瀬志希が嫌いだ。

頼むから、私が好きな理想の私でいてくれないか

自分勝手なのは理解しているし気持ち悪いのも理解しているし自分がクズなのも自分がクソ野郎なのも志希P失格なのもわかってる。その上で心底そう思う

近況報告

久しぶりです。無事落ちて二浪目です。結局の所躁鬱は完治しておらず躁転していただけでした。無事鬱状態へと最後の更新以降戻り、精神科に通院しながら生と死について終わることのない考えを巡らせ、何度か彼岸に行こうとしたもののこちらにとどまることを薬のおかげで決めることができました。センター願書は締め切り当日に書いて消印押して貰うという超絶ハードでしたが、まあ受ける気なんて起きずダラダラすごして適当に私立の志望校決めて適当に受けて適当に落ちて無事二浪目です。マーチちょい下、偏差値60前後がノー勉でもまあ掠るんだなと思うと、正直なんというか、どうしたものかと思います。至極大学というものがどうでも良くなってしまいます。どこ行っても一緒なんだろうと。勉強していればですらなく、時計持っていれば現代文の時間配分が適切にできたので合格最低点超えて受かってたのでしょうが、まあこんな状況になっているので落ちて大正解だったと思います。上京後にこれ食らってたら多分死んでいた。とまれ、センター試験の問題を考えている人はもっと問題難しくしていいと思います。こんな中学途中でドロップ・アウトしてダラダラ何もせずに過ごしてきた人間が満点取れてしまう現状は間違いしかないのでもう少し難化しなければ選抜試験としての意義が全くなくなってしまうでしょう。

自分なんかが合格ラインをあのレベルの大学で彷徨えるような世界は正直間違っていますし、絶望感すら覚えます。バカバカしい。なんであんなに差がないんだ。合格最低点-10くらいはせめてしていないと間違ってる。ふざけるな。周りはもっと点数を取れ。お前らがきちんと努力して点数を取らないからこんな勘違い人間が生まれるんだ責任を取れ責任を。本当に腹が立つ。何もしていない人間がなんであそこまで点数が取れてしまうんだ。おかしいだろ巫山戯るな。俺なんかよりも別の人間にこれを授けるべきだったんじゃないのか神とやらよ

昨日の続き。冷静になって考えようか

さて、冷静な状態で再度見返せばまた違った思いや考えを抱くのではないかと考え、再度読んでみた

結論から言えば無駄であった。やはり何度読んでも怒りを感じる文章というものは怒りを感じさせてくれるので全くもって素晴らしい

結論から言おう。あの記事を書いた人間は自らの論理が破綻している事に気づかない者であり、そもそもギフテッドに対する理解など無いに等しい

彼風に左脳側が足りていない人間とでも言った方がいいかもしれない

さて、まず賢さというものは何なのだろうか。私は自身を賢いと思うが、同時に愚かでどうしよもない人間であるとも認識している。そうなってくると、賢さと愚かさというものは両立しうるものなのではないかという疑念が生まれる。そして、合理的思考力や理解力が高いのが賢いならば、私は賢いし、愚かであると言える。私は合理主義の権化であり、それと同時に非合理主義の権化でもある。そして私は理解力があるし、同時に理解力はない。

それなのに、左脳の強さで賢さやら愚かさやらを決めると言うのであれば私は一体何なのだろうか。左脳が2つでもあるのだろうか?両立しうる概念を直線状に並べ、こうならばこう、そうならばそうだと決める事こそ、愚かというものなのではいのだろうか

そもそも、右脳が感情左脳はそれを抑制するという主張であったはずなのに、左脳が強ければ賢いし。弱ければ愚かと賢さやら愚かさというものが出てくる時点で論外なのは言うまでもない事なのだが

次にいこうか

左脳が弱く右脳が強いのが発達障害という意見には私は何も言わない。それ自体はそういった見方もあると納得がいくものがあるからだ

だが、右脳が弱く左脳がもっと弱い人はただの能力不足な人とは一体、何なのだろうか

右脳が弱く左脳がもっと弱いというのはすなわち、右脳が左脳よりも強いということである。当たり前だが

右脳よりも左脳が弱いのが発達障害というのが彼の定義であるが、それに照らし合わせれば右脳が弱く左脳がより弱い人というのは定義にしっかりと当てはまる。それをただの能力不足だとか我慢が足りないと言って左脳を強くする努力をしろだとか言って切り捨てるのはただの差別ではなかろうか。しかも、発達障害同士の分断をはかる悪質な言動と言えるだろう

だいたい、なぜギフテッドがギフテッドと言われるのか彼は理解しているのだろうか?神が与えし才能だからギフテッドなのだ。神が人間の能力を決めているという実にキリスト教的な考えがもととなっているのだが、それを語る人間が左脳側が弱い人間は努力して...などと言うのはギフテッドに喧嘩を売っているようにしか私は思えない

努力すれば皆が同じようになれるというのは大間違いだ。そのような考えこそがギフテッドという物に対する足かせになっていると理解していない人間がギフテッドについて語ろうだなど、笑止千万と言っていいだろう

はっきりと言おうじゃないか。確かに我々ギフテッドは感情性やらが高いので苦労したりするのは事実だ。私はそうだ。だがしかし、それは私個人で解決すべき問題であり、そういった感情の問題によって社会的に認められないだとか社会的に底辺にいるのは私の責任である

真に忌むべき問題は、能力平等主義なのだ。努力すれば皆同じようになれると言うのは幻想でしかない。そしてこれこそがギフテッドが日本において苦しんでいる元凶であると私は言いたい。能力不足の人間に対して能力平等主義を振りかざすような人間が私は機会平等主義ですなんて味方のような面をしてすり寄ってくるのは不気味でしかない

 

ギフテッドに関するある記事を読んで

18日の21~22時頃、突然本ブログに15人もの人が来た

こんなインターネットの辺境にである。正直びっくりした

さて、原因を究明してみよう どうやらこの記事がニコニコニュースで公開されたのが原因のようだ

ADHDと発達障害とギフテッドと、あるべき社会の方向性 | ニコニコニュース

正確には診断されたわけでなく自己診断だが、1ギフテッドとしてこの記事の感想を書こうと思う

ADHDについては、正直ギフテッドから見たギフテッドについての記事の批評という本記事の趣旨にそぐわないので記述するのを飛ばさせていただく事を了承いただきたい

まず、日本語で最も優れたギフテッドに関する文献が日本語版wikipediaであるというのは、インターネット上においてという条件付きでだが、同意しよう。私もそう思う

正直この記事を読んでいると自身をギフテッドと定義することに対しての疑いが完全に消え失せる

そして能力平等主義への殺意が抑えられなくなる。

努力すれば、勤勉であれば、人間は皆同じペースで成長・発達していくものである、あるいは、いくべきである

 これは欧米と日本での認識の違いに言及する専門家の発言の一部の引用であるが、このようなまったくもって無責任な考えに私は殺意を覚える

努力してもできない人間がいる。私は学校でそう教わった

中学生のときである。英単語を毎日1ページ書いて覚えようといった内容の英語ノートという宿題が出されていた

私はやる意味を見いだせないので全くやらなかったが、真面目な子達はきちんとやっていたし、あるとても成績が悪い子は努力をして追加で何ページもやり、黒板に張り出された英語ノートページ数ランキングでトップにいた。

現実は非情なものである。その子のその後の英語の成績は10点台。私は90以上であった

努力をしてもどうにもならない彼と、一方で何もせずに上位にいる自分

両者の差というものはなんだろうか。答えは簡単である。生まれ持った才能の差だ。それ以外になんと言えるだろうか

私は努力をしている人間を尊敬する。私は正直彼も尊敬していた。その一方で、腹を抱えて笑いたくなる自分もいた。私は後者の自分が死ぬほど嫌いだ

努力しても所詮そんなものか。努力なんて意味がないな。バカは何をやっても意味がないんだな。とても滑稽だ。などと思う私と、努力している彼を尊敬する私

どちらも私であるので、嫌いだが完全に否定はできない。実際のところ、そういったもので愉悦感を感じるのはとても気持ちがいい事であると認識してもいるからだ。最も、そういった気持ちよさも、自身のそう感じるお前はクズだなという心の声にかき消されるのだが

私はこれ以来、努力すれば誰でもできるなどと言った無責任な意見は口が裂けても言えなくなった。努力してもどうにもならない人もいる。逆に努力などせずともどうにでもなる人もいる。これが事実だと、もはや私は信じて疑わない

勤勉さや努力は尊ぶべきものであるが、それが成果に繋がるとは限らない。と、いい加減世の大勢は理解してほしい

さて。次へいこう

上手くやれる発達障害がギフテッドで根は同じというものに少し引っかかりを感じたが、正直これは自身を発達障害と同じにされるのが嫌だという所に由来するものであると自覚しているので特に何も言わない。どのように考えるのも自由だからだ

その後のギフテッドに関する問題点の項目については完全に同意する

先日、と言ってもだいぶ前だが中学数学の復習をした。私は数学が数ある座学の教科の中で唯一苦手だし、嫌いだが2時間ほどで終わってしまった。

苦手な私が2時間で終わるのだから世の一般的な人間もそうに違いないだろう。これを読んでいる方も復習してはいかがだろうか。中1から中3まできっと2時間ほどで終わり、これをダラダラやる中学の3年間とはどれだけ意味がないものなのだろうかと考えさせられるはずだ

そしてわかったのだが、やればできるという事だ。ノー勉で挑んだ高校入試でルートやら2次方程式の計算の仕方がわからず、苦手意識を抱いて以降ずっと放置していたのだが(それまではむしろ得意だと思っており高専を志望していた)、やってみれば5分で理解できてしまった。どうして高校受験の前に5分ほど時間を割かなかったのだろうかという後悔に襲われたが、どうせ入っても辞めただろうから何も変わらない事に気づき気分が明るくなった

やればできるがやる気を起こすのはとても難しい。これは2時間で終わった作業だったが始めるまでに一月はかかったように感じる。数学が大嫌いだから仕方がないが

自分の得意な科目じゃなくとも、平均以上の点数は優に出せるなんていうのは当たり前だろう。やった事も見たこともない記号やら理論やら単語やらが出まくってわけがわかなかった昨年春の数2Bの模試くらいだ。平均以下を取ったのは。中学の知識すら一部欠如している状態でアレを時間内に解くのは数学弱者にとっては至難の業としか言えない

結論から言えば世のやればできるを本当にギフテッドはやれるという点には強く同意する。実際必要に迫られているためやっているが、できるからだ。なぜやればできるのかは知らない。それが私に与えられた才能だからだとしか私は言えない。むしろ、なぜあなた達はやってできないのか、私には理解できないので教えてほしい

ただ、これに当てはまらないギフテッドもいるのが現実というものだろう。私がたまたまそうであっただけである

さて、次だ

右脳左脳についてだが、まあ右脳左脳という書き方が嫌いだが言いたいことは理解できるし、その次の項目であるギフテッドは両者が強いということも途中までは強く同意できる

だが、その先に対して私は違うと言いたい

右脳が衝動性やら感情を、左脳が統制をという論理において、確かに右脳が強く左脳弱いのが発達障害と分類されるのはそうなのだろうと私も思うが、右脳も弱いが左脳はもっと弱いをただの能力不足だと論じているところは断固として認められない

もしそうなのならば、その能力不足というものが一種の発達障害だと認められるべきであり、そもそも、そういったケースは右脳が左脳よりも相対的に強いのだから、この論理の中の発達障害に当てはまるはずだ。それを発達障害ではないと論じる筆者の論調には強い嫌悪感を覚える

何がただ左脳側が弱いだけだ?結果的に右脳側が強いからそれに苦しんでいるんだろう。それがなぜわからないのか、正直私には理解できない。私は普通ではないので私が理解できなくても世間一般では理解できるのかもしれないが、これに関しては普通の人でも私と同じ事を思うのではないだろうか

その後の記述に関してはもう私は嫌悪感しか覚えない。私は彼のような人物に活躍の場をだとか、社会の中での自由だとか、語られたくはない。私は彼のような人物が他人の能力を評価できるとは考えられないし、わかったように語られるのに非常に強い嫌悪感しか感じない。

自由なコラムライティングでもしたらだどうだだと?了解した。これが自由なコラムライティングだ。

あくまで1ギフテッドの意見に過ぎないが、あなたのような人物にとやかく言われてまで社会的に活躍の場やら社会的な自由だだとかが認められるようになる事を私は全く望んではいない

人は他人に対して自分の能力の分でしか評価できないというのは事実なのだろう。この記事自体がそれを裏付けているとしか私には思えない

筆者は究極的には自殺を選ぶ人物は少なくないと言っているが、自殺率とギフテッドの相関は科学的に立証されていないし、自殺や慢性うつ病との関係だって科学的に立証されていない。所詮は自殺を持ち出して問題にしようとしている意図があるようにしか見えない。誠に残念だが、ギフテッドというものは一般人とは違って、自殺を合理的だからと選択はしないものだ。個人個人で独特な悟りをもってそれを指針として生きていくはずだ。私がそうであるように

本を買った~志希Pのオタク活動?

本を買った。Alexander Shulgin and Ann Shulgin著のPiHKAL A Chemical Love Storyだ。PiHKALとはPhenethylamines I Have Known And Lovedの略である。
内容は他人に公言するのが憚られる内容だが、一言で言えば薬物汚染が拡大した元凶の本である。エロウィドで無料で読める範囲は。無料で読めない範囲、つまりこの本を購入した者しか読めない範囲の内容は知らない。英語なのでおいそれと読めないのだ。専門用語もかなり出てくるため一介の浪人生が読めるような代物ではないだろうと思うが、読んでいきたいと思う。これを読む前に、以前買ったPeter Hopkirkの本*1を読み切れと言いたいが。
PiHKALを購入した動機は正直なところ、真面目にフェネチルアミン類を研究していたり真面目に化学を学んでいるのであろう者にとっては不純な物だろう。私は志希Pである。これが理由だが、少し掘り下げていこう。
彼女の1stソロである秘密のトワレの歌詞中に(歌詞と言っていいかはわからないが)フェニルエチルアミンが登場し、また、同じCDに収録されているドラマ「目指せ! シンデレラNO. 1! -一ノ瀬志希編-」において、惚れ薬を作ろうとした際に「リアルなやつがいいのかな?フェネチルアミンとかそういう系?でも適当に作ると法律で指定されている危険薬物ができちゃうんだけど...」と、こちらを伺ってくる*2のだが、私はフェネチルアミンについてよく知らないのだ。彼女の専門は有機化学系統で有ることは明確だが、具体的な事はよくわからない。しかし、少なくともフェネチルアミン系の薬物は合成できるのであろう事がここから推測できる。ならば私も同じ事を知ろうではないか。そう思ってKindleで1500円くらいで買ったのであった。
この本はフェネチルアミン系の薬物179の合成法、生物試験、服用量、解説が記されているため、フェネチルアミン系の薬物を合成できる彼女はこの本を持っているか読んだことがある可能性が高い。私のオタク活動もここに極まれりといった感じである

*1:4冊ある。The Great Game: On Secret Service in High Asia、Setting the East Ablaze: Lenin’s Dream of an Empire in Asia、On Secret Service East of Constantinople: The Plot to Bring Down the British Empire、Foreign Devils on the Silk Road: The Search for the Lost Treasures of Central Asia

*2:もちろんNGが出される

BS世界のドキュメンタリー 外交は国威なり~密着イギリス外交②(Inside the Foreign Office Keeping Power and Influence)を見て

気まぐれでBS1の番組表を見た時に、密着イギリス外交という興味をそそられるドキュメンタリーを発見した。残念なことに1話は放送済みで2話しか録画できなかったのだが、とてもおもしろい内容だったので記事にしようと思う。

さて、英国外務省と聞いて、あなたは何が思い浮かぶだろうか

外務・英連邦省ネズミ捕獲長パーマストンだろうか?もしパーマストンを知っているなら彼に部下がいることを知っているだろうか?在ヨルダン英国大使館ネズミ捕獲長アブドゥンのロレンスが彼の部下なのである

それとも今は別館として使用されている旧アドミラルティビルを思い浮かぶだろうか?

旧インド省のダーバーコートを思い浮かべるだろうか

三枚舌外交だとか言う人間は...正直合わないのであまり関わりたくない。いわゆる三枚舌外交ー英国のオスマン帝国領に関する外交だが....あれは三枚舌外交なのでなく、3頭外交とでも言うべき代物だ。対アラブ、対ユダヤ、対英仏をそれぞれ別の部門が行ったため矛盾が生じうる外交になったのであって、騙そうとしたわけではない。そんな状況から矛盾が生じないようにきちんと解釈し直した英国は流石と言える

まずこの番組はボリス・ジョンソン前外相が2018年にダーバーコートで就任後の訓示をしているところから始まる。内容はロシア政策の見直しについてや、グローバルな英国が求められる中、外相は看板であり、大事なのは外務省職員のスキルと専門知識であるといった内容だ。

次に外務事務次官サイモン・マクドナルドへのインタビューへと移る

記者:優れた外交官の定義とはなんでしょう?大使とは嘘をつくために外国に送られる人物だなどと言った人もいるとか

事務次官:なるほどそうきましたか。後ろにその言葉を残した人物の肖像画がありますよ。この事務次官室は長い間に様変わりしましたが、あの肖像画だけはずっとここに掛かっています。Sir Henry Wotton、17世紀のイギリス大使です。ラテン語でこう言い残しました。Legatus est vir bonus peregre missus ad mentiendum rei publicae causa(大使とは自国の利益のために嘘をつくべく外国に送られる正直者のことだ)

事務次官:この言葉には実は3つの意味が隠されています。当時のlying、嘘をつくという単語には、怠ける、騙すと言った意味もありました。更にもう一つ、いろんな相手と寝るという意味もあったんです。この解釈を巡ってWottonは国王と対立し一時的に職を失いますが、優秀な外交官は後始末も上手です。結局無事に復職しました

事務次官:世界におけるイギリスの役割はこの150年で根本的に変わりました。第一次世界大戦が始まるまでイギリスは世界のトップ最強の国威を持つ国と誰もが認める存在でした。しかし第二次大戦後はアメリカとソ連が大国となって影響力を振るい、イギリスはその現実を受け入れざるをえなくなりました。それから70年が経ちますが、今も同じ第二グループです。積極的に発言し超大国に影響を及ぼす力を持っていますが単独では大したことはできません

肖像画を見てこの言葉がパッと出てきたのであろう記者は、これが記者だということを私に認識させてくれた。会話のきっかけとしては十分な出だしだ。

ここで、英国の外交観と英国外交の現状というものが視聴者に分かる構成となっていて、とても素晴らしい。この後舞台はニューヨーク、英国国連代表部に移る。

 

ここでまず興味深いのは、国連大使にトランプについてどう思うか、外交官として答えてほしいという質問だ

マシュー・ライクロフト大使曰く、彼は優れたホストで国連や多国間外交についてのアメリカのアプローチを説明してくれ、国連は改革が必要、可能性に満ち溢れているがもっと機能させなければと話しており、それには賛成である。

次いで安保理の話になるが、露中と対立するのは先刻承知のことだが、中でも露とは世界の見方が異なっているという発言は、グレート・ゲームの時代からの英国の本音だろう。かれこれ200年近く、英国はロシアと対立し続けてきた歴史がある

世界のルールに従わないロシアと、ルールを作る英国、対照的な二国だ

その後はロシア外相とジョンソン外相の会談や安保理でのロシアとの折衷などを密着取材し、ロンドンの外務省へと舞台がもどり、インタビューの続きが始まる

記者:外交は一種の芸術でしょうか?

事務次官:ええ。誰にでもできるわけではありませんし、誰もがうまくやれるとは限りません。ただし、生まれつきの才能というわけではなく、徐々に上達していくものです。ごく簡単にいうなら、外交とは相手をこちらの望み通りに動かすアートです

 

キエフにいるウクライナ大使へのインタビューが始まり、彼女への密着取材が始まる。

国家の数を子供に尋ねられた時、それは難しい質問だと答えていたのが印象的だ

彼女はウクライナ東部の紛争地帯へ訪問し、状況を確認する

再び舞台は国連へと移り、おなじみのBBCニュースのオープニングが流れ、国連の議題がロヒンギャにうつったことが話される。ミャンマーに関してはかつてミャンマーを植民地統治していた英国が安保理での議論を主導している。ミャンマー国連大使を招いた非公式の昼食会などが行われ、英国がどのようにミャンマー問題を解決しようとしたのかが語られる。英国本国と在ミャンマー英国大使のやり取りや、在ミャンマー英国大使への取材で構成されるが、一部で事務次官へのインタビューが挿入される

事務次官:国に繁栄をもたらすことが常に政府の大きな任務の一つでした。言い方を変えれば国民が世界中で安全にビジネスを続けられるようイギリス政府は長い間世界で積極的に活動してきたのです

事務次官:時には人権保護と経済的利害が対立する場合もあります。我々の基本姿勢としては、その対立に見て見ぬふりはしません。相手国との合意形成をはかる。経済関係と同時に人権問題の対話も続けますよという姿勢です

ミャンマー大使への取材もまた面白い。任命の際の事務次官との会話が印象に残った。英国とミャンマーの関係を特別な関係で結ばれたと言っているところが面白い。その後再び事務次官へのインタビューが挿入される

記者:外交官は相手国への関与と自分に正直であることどう両立すべきなのでしょう

事務次官:私は相手国と関わりを深めることがその言い分を聞くことになるとは思いません。積極的な関与は不可欠です。それなくしては相手が何を考えているかわかりませんしどうすれば相手に影響を与えこちらの望み通りに動かせるかもわかりません

その後舞台はミャンマー大使館へと移り、ミャンマー大使への取材へと戻る

その後、BBCニュースのオープニングが流れ、スクリパリ事件が起きたことを伝え場面が変わる。対露関係が悪化し、国連代表部が国連でどのように対処したかが語られ、事務次官へのインタビューの中で結果が語られる

事務次官:最終的に30ヶ国近くがイギリスの対露制裁に同調しました。合計150人のロシア人外交官がそれらの国や国際機関から国外退去を命じられたのです。これはロシアの計算にはなかったことです。ロシアは外交上の敗北を喫したのです

記者:ニュース番組を見た時、ご自分がその渦中にいると感じますか?

事務次官:毎日そう感じています。私達は大きな問題を扱っているので、自分の仕事の内容を話すだけでディナーパーティーの客の関心をやすやすと引くことができます。会話を独り占めするなと妻がテーブルの下で足を蹴ってくるかも。でも、みんな何が起きているのか知りたがっています。中東の動き、アメリカやロシアや中国との関係、気候変動、海のプラスチックごみ、現代の奴隷労働、全て我々の仕事、いうなれば歴史に関わっているんです

記者:パーティーでそれを話すんですか?

事務次官:私は外交官ですよ?優れた外交官は相手に秘密を明かしていると思わせるんです。相手は後で思い返して聞いた時は面白いと思ったけれど大した中身はなかったと気づく

記者:つまり具体的な材料は何も与えないってことですね?

事務次官:そういったのは君だ

記者:『君がそう考えるのは自由だが私はコメントできない』ですか?

事務次官:人気ドラマ(キリング・イヴ)のセリフだね?

記者:あのドラマの省庁の描き方はどうです?

事務次官:あんなに殺人は起きないよ

このインタビューで番組はおわり、エンドロールに移る。英国版を見ると此処から先も少し続くようなのだがカットされているのが少し悲しく思う。

結局のところ、事務次官のインタビューは外交だけでなく普段の日常生活において役立つだろう。どうしたら他人との関係を良好にし魅力的な人物になれるのか、考えさせられた番組であった。私にとって本来主目的であった英国外交の裏側も面白かったが